KENさんとチューインガム 

2015年3月14日
本サイト前管理人のKENさんが亡くなられました。
KENさんが遺されたブログ、「チューインガムと私」には
チューインガムへの
熱い思いとメッセージが沢山綴られています。

このページは
そのブログから特にチューインガムに関わる深い話題を選び出し
原文のまま掲載したものです

KENさんをよくご存じの方も、初めて知る方も
このページを通して、KENさんを改めて偲び
特に初めての方には
チューインガムを深く理解するよい機会になれば幸いです。

よろしければ
ご感想など
掲示板にお寄せください

注:ここに記載された内容は全て、KENさんの個人的な見解であることをお断りしておきます。
---------------目次----------------     
プロローグ
  ●チューインガムとのファーストコンタクト
  ●ファーストアルバムとの出会い

チューインガム全般
  ●チューインガムに惹かれた理由
  ●「神の曲」と「人間の曲」 
  ●ファルセット(裏声) 
  ●子供の声と大人の声
  ●チューインガムはカルピスの味
  ●流行歌とバルバルーン
  ●モーツァルトとチューインガム
  ●たった4ヶ月の急速な進歩
  ●チューインガム・歌声の秘密
  ●声変わりは、あったのでしょうか?
  ●後期チューインガムについて
  ●「かたくりの花」と「だいだいラプソディー」との間」
  ●濁音が続くタイトル

各曲の感想
  ●動物たちの世界 
  ●逃げた小鳥
  ●海のみえる放送局
  ●Together(1)~(5)
  ●かたくりの花(1)~(10)
  ●クリスマス・アルバム(1)~(2)
  ●だいだいラプソディー(1)~(6)
  ●サポディラの唄(1)~(4)
 各曲の感想
  ●バハマ(1)~(5)
  ●リルケの詩集(1)~(3)
  ●ひとりぼっちの夏(1)~(3)
  ●校庭にて
  ●北に消えゆく二人
  ●赤い風船
  ●地下鉄に乗って
  ●
  ●ネス湖の怪獣
  ●Stardust Serenade
  ●ブロークン・ハート
  ●NO.NO.NO
  ●よりそって めらんこりい
  ●あの日のように
  ●お寺まいり(1)~(3)
  ●海の見える放送局
  ●トヨナカシティー
  ●岡田さんの手紙

エピローグ
  ●管理人(情美滝)より


●チューインガムとのファーストコンタクト
     
 
「風と落葉と旅びと」が発売されたのは1972年(昭和47年)6月21日です。私はそのころ、大学に入って2年目の19歳でした。私の住むアパートは、大学のある西千葉駅から東京方向に3つ目位、新検見川(しんけみがわ)駅の近く、花園町にありました。大学の先輩が見つけてくれたアパートです。 このアパートは、私が卒業してから数年して取り壊されました。跡地は、駅と立体交差する道路の真下となりました。

私の部屋は2階で、南向きの日当たりの良い部屋でした。窓からは、すぐそばに新検見川駅のプラットフォームの屋根が、左右に長く見えました。線路を走る電車は、黄色い色をした総武線。ふるさとの飯田駅は、この線路の先にある、と思うだけで、一人暮らしの寂しさを紛らわせることができました。

駅とアパートの間の空き地(100平米くらい)には、花畑と野菜畑があり、四季おりおりの植物が心をなごませてくれました。アパートの階段を降りて出掛けるときは、左手に畑を見て、帰るときは右手に畑を見ました。

あれは6月末の日曜日のことだったと思います。同じアパート1階の管理人さんの所に、アパート代を払いに行こうと思いたちました。アパート代の支払いだけですから、1分もかからずすむと思い、階段に面した部屋の窓は開けたまま、鉄製の外階段を降り始めました。屋根の付いていない、むき出しの階段でした。

階段を2~3段降りた時のことです。私の部屋のつけっぱなしのラジオ(東京FM)から「風と落葉と旅びと」が聞こえてきたのです。その瞬間、体全体が震える程の感動を覚え、あわてふためいて部屋に戻り、曲に耳を傾けました。アパートの壁は薄く、お隣の人の小さな音でも聞こえるので、普段はラジオのボリュームも小さくしているのですが、そのときだけ大きめだったのだと思います。

植物の芽が、突然、地表を突き破って姿を現したような、自然で新鮮な驚きでした。私のためだけに、私の好みに合わせて作ってくれた歌のように思えました。そして長い間、待ちこがれていた曲に、ようやく奇跡的に巡り会うことができた歓喜を感じ、胸が一杯になりました。深い感動で、目には涙がにじんできました。曲が終わってから、ディスクジョッキーの話がありました。チューインガムという子供のグループが作詞作曲し、歌っているとわかり、「これは天才に間違いない」と確信しました。

しかし、情けないことに、すぐレコードを買いに行ったり、ラジオ局へリクエストするという行動には出ませんでした。日々、アルバイトと勉強に追われていましたし、「風と落葉と旅びと」が、それ以来、ラジオから聞こえなくなった、ということもあります。

ところが、私の深層心理には、チューインガムと「風と落葉と旅びと」が、しっかりと根付き、何ヶ月か経ってからLPの購入に至るのです。それは全くの偶然が、成せるわざでした。不思議な因縁です。
 
   


●ファーストアルバムとの出会い
     
 
ファースト・アルバムとの出会いは、チューインガム・ファンの私にとって、最も重要な出来事の一つでした。ファースト・アルバムの発売は、1972年10月21日ですから、昭和47年。大学に入って2年目のことでした。その年の6月、「風と落葉と旅びと」をラジオで聴いて、しびれるような感動を味わったものの、日々のあわただしさに、チューインガムを、だんだんに忘れていきました。

その年の冬、私は東金市の印刷会社へ、友人3人とアルバイトに行っていました。国鉄千葉駅まで、黄色い総武線で行き、そこから東金線に乗り換えて内陸方向へ15分くらい行った所にありました。伝票など色んな表の版下ライン引きを、ロットリングや丸ペンを使って書いていました。また写真植字機で打った印画紙を、自分で書いた表の版下のマス内に、正確に貼りつける作業をしていました。仕事に慣れてきたころ、これなら月給10万円くらい取れるよ、と言われていました。

ある日、アルバイトの帰りに、友人たちと国鉄千葉駅のステーションビルに立ち寄り、地下の食堂で食事をしてから、2階に昇りました。そこのフロアーを歩いているうち、偶然にレコード屋さんを見つけました。2階の奥にあったと思います。そのときの自分の服装まで覚えていますので、衝撃的な出会いだったのでしょう。オンワード製で、紺色のウインターコートを着ていました。

それまでチューインガムのレコードを見たことがなかったのですが、お二人のジャケット写真を見て、何て中性的な魅力に溢れているのだろう、と感激し、すぐに購入しました。特に、りかさんの知性的な雰囲気には、心がときめくのを感じました。それまで「風と落葉と旅びと」の歌声しか知らなかった私にとって、衝撃的な出会いだったのです。

おそらく、東金市でアルバイトをしていなかったら、千葉駅に立ち寄ることも、ファースト・アルバムとの出会いもなく、チューインガム・ファンにはなっていなかったと思います。

ほんのわずかの偶然が引き起こした、一生を左右するほどの出会いでした。
 
     


●チューインガムに惹かれた理由
     
 
私がチューインガムを初めて聴いたのは、19歳のときでした。そのとき、りかさんは7歳下の12歳、マミさんにいたっては、9歳下の10歳でした。大人と子供ほどの年齢差がありながら、好きになったのは何故だったのでしょうか?

当時の私を、真っ先に思い出させるのは、カバー曲「地下鉄にのって」です。電車の中で聴くと、電車の振動と、この曲のリズムがピッタリ合って、心地良かったことを覚えています。当時ウォークマンなど無く、電車の中では、ポータブルカセットレコーダーにモノラルイヤホーンを挿して聴いていました。ショルダーバッグに入れて持ち運んでいましたが、機器はナショナル製。肩にズシリとくるほど重いものでした。

この曲を聴くと、東京都内(特に、赤い色をした中央線)を走っている電車内の、自分を鮮やかに思い出します。つまり、大学のある千葉市のような田舎より、都会で聴くチューインガムが好きだったのだと思います。チューインガムは、もともと都会的センスをもったデュオです。そういう意味で、現在、都会に住んでいて、チューインガムを聴く環境にある方をうらやましく思います。賑やかな都会で聴いてこそ、このデュオの音楽性というものが実感できるのでしょう。

今、当時をふりかえると、私はチューインガムのインテリジェンス(知性)に最も惹かれていたと思います。歌い方には、知性の輝きがほとばしっています。細かい節回しやハーモニーに心が行き届いていて、頭脳明晰な少女たちだと思いました。さらに作詞作曲が際立っていて、凡人には足元にも及ばない、天才を感じたのだと思います。

ふつう天才というものは、どこか冷たいところがあるものですが、チューインガムには、そういうところが、微塵も感じられませんでした。むしろ、とても気さくな感じを受けました。悲しく辛いときには、励ましてくれました。元気のないときは、勇気を与えてくれました。嬉しいときは、喜びを倍増させてくれました。嬉しいにつけ悲しいにつけ、チューインガムは私に、いつも慈愛の眼差しを送ってくれていたように思います。

そして当時、チューインガムの人気はあまりなく、世の中に知られていませんでした。チューインガムは、天才を知っている数少ないファンの一人だ、という優越感にずっと浸らせてくれました。選民意識(エリート意識)のようなものが、年齢差を度外視し、好きにさせたと思います。そのことから発展して、知っているという「誇り」さえ感じるに至りました。他の同級生と比較して、大したとりえのない私にとって、ファンであることが、たった一つのプライドでした。

学生時代の私にとって、チューインガムは、活力の源となり、生きていく原動力とさえなりました。朝起きて聴き、寝る前に聴く毎日でした。私の学生時代は、チューインガム抜きにしては語ることができないのです。
 
     


●「神の曲」と「人間の曲
     
 
前期チューインガムの曲は、ガム家族全員で作り上げた「神の曲」で、後期チューインガムの曲は「人間の曲」なのではないでしょうか?

前期の歌は、ほとんどの曲が、明るく爽やかです。チューインガムが子供時代から思春期までに歌った曲ですが、マイナー調の曲であっても暗さは少しも感じません。人間界や自然界はこんなに素晴らしいんだ、というポジティブな精神に満ちています。したがって、これは純粋無垢な「神の世界」を表現していると思います。集大成が「クリスマス・アルバム」だと思います。

ところが、後期の歌には暗さが入ってきます。切なさ・悲しさ・悔しさ・怒りが入り混じっています。明るい歌もありますが、前期のような底抜けの明るさは、影をひそめています。かなりネガティブな精神がみられます。したがって、これはリアルな「人間の世界」を表していると思います。「置き手紙」が、その代表です。

クラシックの作曲家のなかで、バッハは明るい曲ばかり作りました。それに対しモーツァルトは明るい曲と暗い曲、両方を作りました。芸術とは、明るさと暗さ、両方が混じりあってこそ、真の芸術といえるのだそうです。

したがってチューインガムは、前期・後期、両方合わせて初めて「芸術」という領域に達したのだと思います。

しかし私個人としては、前期の「神の曲」を歌い続けて欲しかったと思っています。私の思い出と前期チューインガムの曲は、完全に一体となっています。後期チューインガムの入る余地が、ほとんど無くなってしまいました。「神の曲」を、後期も歌い続けていてくれたらと、わがままなことをよく考えます。
 
     


●ファルセット(裏声)
     
 
昨夜のテレビ番組に、由紀さおり・安田祥子姉妹が、出演していました。安田祥子さんは、「ファルセットは、のどを楽にしてくれるんです。」と言っていました。由紀さおりさんは、「姉は、話すときもファルセットなんですよ。」と笑って話していました。

私は、ファルセットが、のどを楽にするとは知りませんでした。すると、チューインガムのリカさんが、高校生のときの「かたくりの花」では、高音を地声で歌っています。超高音を目一杯の音量で歌っているので、かなり、のどに負担がかかったんだろうな、と今更ながら思いました。

チューインガム「バハマ」後の、リカさんは、5種類のファルセットが歌えたそうですが、どのように5種類が組み合わされているのか、何度、聴いても全くわかりません。
 
     



●子供の声と大人の声
     
 
私は、つい最近まで、チューインガムが大人の声に変化したのは、「バハマ」以降だと思っていました。しかし、実は変化したのが「だいだいラプソディー」のときではないか、と思うようになりました。

チューインガム1の「ひとりぼっちの夏」から「バハマ」までの5曲を、毎日、連続で聴いてみました。その期間はざっと半年にわたりました。

「ひとりぼっちの夏」は、りかさんが高校生になって初めてレコーディングした曲ですが、それ以前と比べて格段に声量が豊かになっています。その後、1曲ごとに歌唱力とハーモニーのレベルが上がり、「かたくりの花」で最高峰を極めていると思います。

「だいだいラプソディー」は、「かたくりの花」の延長線上にあると思っていましたが、実は「バハマ」に近いと思います。


「だいだいラプソディー」は、資料室によれば1976年6月21日の発売です。昭和51年ですから、この頃、私は大学を卒業し、社会人2年目となっていました。ラジオの「コッキーポップ」を聴いているとき、この「だいだいラプソディー」が耳に入り、すぐにシングルを購入しました。

ラジオで聴いたときは、「かたくりの花」のチューインガムと変化が無いように思いました。しかし、B面の「四季桜」を聴いた記憶が全く無いことから、購入したもののシングル自体は、ステレオであまり聴いていなかったものと思います。とにかく仕事が恐ろしいほどに忙しく、宙を飛びながら仕事をしていた、という感じでした。

今「だいだいラプソディー」を聴くと、りかさんの声が、「かたくりの花」のころより、ほんのわずか低いような気がします。「かたくりの花」の発売が、1975年12月21日ですから、6ヶ月の間に声が変化したことになります。りかさんのソロの部分を聴くと、落ち着いた声になっていることがわかります。

マミさんの声は、少し鼻声になっていますが、「かたくりの花」と同じ高さの声だと思います。
 
     


●チューインガムはカルピスの味
     
 
チューインガムの歌は、りかさんの高音と、マミさんの低音がミックスされて、ちょうどカルピスと同じ甘酸っぱい味だな、と感じました。

りかさんの高音は、ハチミツのような甘い声ですが、ジュリーこと沢田研二の声によく似ていると思います。

沢田研二がジュリーと呼ばれるようになったのは、沢田研二がイギリス人歌手、ジュリー・アンドリュースの大ファンだったからです。

ジュリー・アンドリュースといえば、映画「サウンド・オブ・ミュージック」で、子供たちとアルプスの野原で、手をつないで歌っているシーンを思い出します。しかし私は、もっと前に、映画「メリー・ポピンズ」を見ました。中学生のころでした。やはり、りかさんと同じ甘い高音と、優しい声に感激しました。

ジュリー・アンドリュースよりの声は、クラシックのソプラノを歌えるような格調高い声ですが、りかさんの声は、庶民的なところがあります。

ところで、ときどき、ふと、チューインガムが、グループサウンズのザ・タイガースの歌をカバーしてくれると、良かったのに、と残念に思うことがあります。

僕のマリー
モナリザの微笑
君だけに愛を
銀河のロマンス
花の首飾り
廃虚の鳩
青い鳥

これらの歌を、チューインガムが歌った場合、どんな感じになるか、はっきりと想像ができます。ザ・タイガースよりも、ロマンティックで夢があり、心をときめかすような歌になったことでしょう。シーサイドバウンドなどの激しい歌は合いませんが、上記のようなゆったりした歌は、抜群に合うでしょう。

チューインガムが好きでない人も大勢います。私がチューインガムを好きになったのは、沢田研二の影響と、その前にジュリー・アンドリュースの影響が根強く残っていたからだと思います。
 
     


●流行歌とバルバルーン
     
 
「バハマ」は、1980年5月21日に発売されました。1980年=昭和55年のヒット曲を調べてみました。

トロピカルブームの歌は、というと、先ずサザン・オールスターズの「涙のアベニュー」「シャ・ラ・ラ」でしょうか。松田聖子の「青い珊瑚礁」も、南国ムード満点です。

「バハマ」も、このような流行歌の風潮の中で創られたわけです。


前期チューインガムが、「かたくりの花」「遠い世界に」を歌ったのが1975年=昭和50年。このときは、山口百恵、キャンディーズが活躍を始めていました。

昭和50年に、静岡へバスツアーに行きました。ガイドさんに、「皆さんの好きな歌手は誰ですか?」と聞かれて、私は「百恵ちゃんのファンです。」と言いました。

本当は、「チューインガム・ファンです。」と言いたかったのですが、他の乗客がチューインガムを知っているはずもないと思い、心にもないことを言ってしまいました。

そして1980年=昭和55年。山口百恵の引退後、新星のように現れたのが、松田聖子でした。

昭和50年から昭和55年にかけての、アイドル全盛時代に、チューインガムがどのような気持ちでいたかと思うときがあります。

昭和55年のヒット曲の中で、個人的には、五十嵐浩晃の「ペガサスの朝」が好きでしたね。↓

当時、黄色のスポーツカー(イスズ・ジェミニ・クーペ1800LS)を買ったばかりで、高速道路を走りながら、この曲を聴いていたのを、はっきりと覚えています。
 
     


●モーツァルトとチューインガム
     
 
音楽用語で「主要三和音」というと、ドミソ・ファラド・ソシレの三つです。
モーツァルトが作曲した曲の大部分に、この「主要三和音」が使われています。ところが、モーツァルト以前の作曲家は、和音をあまり使いませんでした。

この「主要三和音」は、聴く人に安心感を与えてくれます。鐘や風鈴の音や、風などで物が自然に振動する音と「主要三和音」は、共通する音波特性があります。

チューインガムの歌を聴いて、心が癒される・落ち着く・なごむのは、「主要三和音」によるハーモニーが多いせいではないか?と考えています。

モーツァルトは、自然の音のパワーを味方に、多くの人を引き付ける音楽を生み出していきました。曲アイネ・クライネ・ナハトムジークでは、90%が、「主要三和音」によって作られています。

また、モーツァルトの曲には、会話をしているように感じるメロディーが多いと思います。一つの旋律の後に、それに応えるかのようにメロディーが続きます。そして隣り合った音をつなげていくメロディーが多いのも特徴です。

チューインガムの曲で会話しているように聴こえるのは、次の曲だと思います。
「風と落葉と旅びと」・「岡田さんの手紙」・「海のみえる放送局」・「逃げた小鳥」・「トヨナカ・シティー」・「かたくりの花」など。お二人自身の作曲の曲が多いのは、やはり二人で、おしゃべりしながら、曲を作っていったからではないか?と考えています。
 
     


●たった4ヶ月の急速な進歩
     
 
初期チューインガムのレコード発売日を追ってみます。

シングル「風と落葉と旅びと」・・・1972年(昭和47年)6月21日
シングル「岡田さんの手紙」・・・・1972年(昭和47年)10月21日
ファーストアルバム・・・・・・・・・・・1972年(昭和47年)10月21日

シングル「岡田さんの手紙」とファーストアルバムが同じ日に発売されています。ということは、シングル「風と落葉と旅びと」が発売されてから、たった4ヶ月のうちに、シングル「岡田さんの手紙」とファーストアルバムの多数の曲がレコーディングされたとわかります。

「風と落葉と旅びと」では、二人とも歌声に、まだ幼さが残っていました。しかし、ファーストアルバムの「海のみえる放送局」や「北に消えゆく二人」を聴くと、ハーモニーは音程・シンクロともに完成されています。リカさんの高音の伸びは、これぞチューインガム、という感じで、ほれぼれとします。天下無敵、天衣無縫、大空を飛びまわる鳥のようです。特に「北に消えゆく二人」では、成人女性のしっとりとした雰囲気をさえ感じさせてくれます。

マミさんは、声に年齢相応の幼さが残っていますが、低音部の超難解なメロディーをこなしています。チューインガムの声は、癒しの声だと思っていましたが、実は、癒しの声はマミさんが主に担当しているとわかりました。チューインガムの歌を聴くと、精神的にリラックスしますが、その主な要因は、マミさんの声ではないかと思っています。リカさんの大人っぽく、天を駆け巡る声と、マミさんの幼なく甘酸っぱい声が、絶妙のハーモニーを奏でていると思います。

ファーストアルバムは、前期チューインガムを一流歌手の領域まで押し上げたと言っても過言ではないと思います。たった4ヶ月の間に、チューインガムをここまで進化させた要因は何だったのでしょうか?天才の成せる技か?、努力の結晶か?

いえ、そのどちらもが大きな要因であり、更にガム父さんと母さんの絶大な支援が、チューインガムを4ヶ月という短期間に急成長させたと思います。
 
     


●チューインガム・歌声の秘密
     
 
このブログを書かせていただくようになって、CDを、より集中して聴くことができるようになりました。今まで漠然と聴いていたのですが、チューインガムの良さが、より具体的にわかるようになりました。以下、箇条書きです。

○りかさんの声の特徴

1.例えば「学校始まって以来の秀才」を思わせるような、知性的な声
2.ハチミツ・チョコレート・金時の氷水、などを連想させる、類(たぐい)まれな甘い声(声が似ている歌手は、全く思い当たらない。強いて似ている歌手をあげると、沢田研二。しかし彼よりも甘いと思う。TV歌まね合戦で、りかさんの歌まねをしようにも、不可能と思われる。)
3.基本的には、南国を想像させる暖かい声。高い温度の声
4.正確なビブラート(ふるえる声の波形が一定)
5.明るい歌から暗い歌まで、オールマイティー
6.大人びた声
7.爽快・勇気・希望を感じさせる声
8.ペガサス(天馬)が空を駆け巡るような、自由闊達(かったつ)な高音。天女が空を舞うが如き優雅な高音。

○マミさんの声の特徴

1.健気(けなげ=年のいかないものが困難にくじけず、立派にふるまう様子)な声
2.ヨーグルトを連想させる、甘酸っぱい声(似ている歌手は全く思い当たらない。非常に特殊な声。)
3.基本的には、北国を想像させる涼しい声。低い温度の声。
4.正確なビブラート。りかさんよりも多少強め
5.どちらかというと、暗めの歌が得意
6.幼い感じの声
7.深みのある優しさをともなった、癒しの声
8.一見、素朴かつ地味だが、一音一音複雑に変化する、超難解な低音部の声

○デュオとしての声の特徴

1.りかさんの高い温度の声と、マミさんの低い温度の声の調和
2.りかさんとマミさんの声量の割合で、曲の調子が明るく、また暗く、柔軟に変化する。
3.姉妹ということで、基本的な声質がよく似ている=耳になじむ(例カーペンターズ)
4.マミさんの安定した低音のおかげで、りかさんの高音がより躍動して聞こえる
5.繊細なハーモニーと、力強いユニゾン(斉唱)
6.姉が妹をいたわり、妹が姉を慕う、という姉妹愛を感じさせる
6.甘くまた、甘酸っぱい声だが、アイドル歌手のような「甘えた声」では決してない。凛(りん)として風に立ち向かうような強さを秘めている。
7.歌の振り付けは、ほとんどない。体を揺らす程度。
8.マミさんの低音部のメロディーは、最初から楽譜に書いてあるわけではない。お二人で歌いながら考え、決めていった。
9.初期チューインガムの歌には、子供の世界が広がっている。大人の処世術や常識で凝り固まった心を柔らかく解きほぐしてくれる。純粋無垢な子供の気持ちに戻してくれる。

10.二人の個性あふれる天才歌手で構成されるデュオであり、百年に一度、いや千年に一度、出現するか、しないかという奇跡的な逸材。限りなく0に近い確率で誕生したデュオ。今後、地球上に、チューインガム以上のデュオが出現する可能性はないような気がしてならない・・・・・ちょっと大げさ過ぎました?(^○^)でも本人は、真面目にそう思っています。(^^
 
     


●声変わりは、あったのでしょうか?
     
 

「バハマ」を聴いてまず思ったのは、低音部で、マミさんの声が強く、また太くなっていることです。りかさんの声も強くなっていましたが、声の太さ自体は変化ないようでした。お二人の声の質としては、少女期の声を脱し、大人の声質になっていましたが、それほどの差はなく、前期チューインガムを彷彿とさせるものでした。

斉唱部分、ハーモニー部分を通して、マミさんの声が前面に出ているため違和感を感じました。チューインガムの歌は、りかさんの声量を100とするとマミさんが80くらいで、最高のバランスが取れると思っていたので、どうしてだろう?という疑問が残りました。

さらにマミさんの声が太くなっている点については、マミさんが低く声変わりしたと思いました。チューインガム1を初めて聴いたときから、4年間ずっとその事を思い続け悩みました。

初めて「忘れていたニックネーム」の前奏を聴いたとき、懐かしいメロディーのため、前期チューインガムを思い出し、期待に胸がふくらみました。けれど、歌が始まった途端、低い声だと感じ、これはマミさんのソロだと思いました。

しかし資料室掲示板で、RIKAさんにうかがったところ、りかさんのソロだとわかりました。すると、りかさんは、1/4から1/2程度オクターブが下がったことになります。

このことから、りかさんは「忘れていたニックネーム」を歌った時点で、声変わりしたと思いました。

さらに「よりそってめらんこりー」を聴くと、りかさんが苦しそうに高音を歌っているように感じました。さらに、それ程の高音部でない所で、裏声を使っていました。これは、声変わりに間違いないと思いました。

鳥が大空を自由に飛び回るような、りかさんの「伸びやな高音」は、どこにいってしまったんだろう?と、私は悲しくなりました。(T_T)

サポディラで「チューインガムの声変わり」について、投稿しながら、チューインガム1を何度も聴きなおし、自問自答を繰り返していました。

そんなある日「Together」を聴きました。すると、お二人とも声の高さは、前期チューインガムと、ほとんど変わっていないことに、ふと気付きました。すなわち、チューインガムは、声変わりがなかったと結論することができます。

声変わりについて疑問をもつのは、お二人に対して失礼だと思いつつ、この4年間、脳裏から離れませんでした。しかし、意外にも最終的に、良い方向の結論を得ることができました。ほっとするとともに、チューインガムに対する愛情が更に深くなりました。チューインガムのファンで良かった、というのが偽らざる気持です。

後半の高音部、♪ふたりならば 胸の痛み うすれる♪の部分でも、お二人とも裏声を使わず、滑らかに上昇する高音で歌っています。♪Together♪を繰り返しながら最高音部に向かいますが、後半部分のみ、裏声を使っています。

すると、「バハマ」から「忘れていたニックネーム」までの歌は、どのように評価したら良いのでしょうか?

これは、あくまでも私の個人的想像ですが・・・。後期チューインガムには、ガム父さんが関わっていなかったと思います。そして、ガム父さんに代わる指導者がいたのかどうかは不明ですが、私は、もしかして、いなかったのではないかなと思っています。

以前ラジオで、元漫画家の池田理代子氏が対談をしていました。名作「ベルサイユのバラ」を描いた漫画家です。彼女は、漫画家をやめて声楽家になったという変わった履歴をもっています。彼女の話によると、歌声は自分では全くわからないそうです。練習の度に、指導者に聴いてもらい、歌唱指導を受けていたと言っていました。

後期チューインガムは、日本の歌謡界に旋風を巻き起こそうと思ったのだと思います。武器は、アメリカ留学による語学力、前期チューインガムで培った歌唱力、そしてパワーアップした声量です。

カムバックに際し、前期チューインガムとは全く違ったデュオを目指したと思います。全く新しい事を起こそうとするとき、自分の前には人がいないわけですから、自力のみが頼りだったのだと思います。そこで、一曲一曲、二人で努力と工夫を重ねて歌っていったと思います。そのため、個性的な歌唱法になっていったと想像されます。

しかし、「Together」は、ビールのCM曲、という特性をもっています。CM曲は、商品が売れることが至上命題です。そのため、チューインガムには、前期チューインガムの歌い方が求められたのではないでしょうか?つまり、クセの無い、素直で柔らかい歌い方です。りかさんは、マミさんの話によると「シャウトする歌い方が好きだった」そうです。しかし、それは修正を余儀なくされたのかも知れません。

前期チューインガムの特徴が現れている後期の曲は「Together」に間違い無いと思っています。前期チューインガムの素直さ・ハーモニーの美しさを生かしつつ、語学力を駆使し、声量を活かし、スムースな裏声を使って、有終の美を飾ったと思います。
 
     


●後期チューインガムについて
     
 
「チューインガム・歌声の秘密」で述べたことは、前期チューインガムについてのことです。後期チューインガムは、歌唱法が全く異なってしまったため、あまり、あてはまりません。

私以外のチューインガムファンは、後期チューインガムの歌声を、迫力のある大人のサウンドだ、と言って評価しています。しかし私の好みからいえば、前期チューインガムの方が好きです。

前期チューインガムの歌声は、ガム父さんとチューインガムが、トリオの力で完成させたと思います。ガム父さんは、涙ぐましい努力で、チューインガムの教育にあたったはずです。「風と落葉と旅びと」から「かたくりの花」に至る、チューインガムの驚異的な進歩をみるにつけ、ガム父さんの御尽力に頭が下がります。

また、シングル「風と落葉と旅びと」は売れたものの、その後の多くのレコードが、それほど売れなかったことを考えると、ガム父さんの金銭的出費は想像を絶するものだったかも知れません。

ガム父さんの役割を想像してみます。・・・指揮者・音楽監督・レコーディングディレクター・歌唱法指導など・・・。掲示板でRIKAさんのお話を伺うと、「私は自分の甘ったるい声が嫌いだった」そうで、「ハスキーボイスにあこがれていた」とのことでした。どうも、りかさんは、ご自分の声を過小評価なさっていた、ふしがみえます。

本当の自分の声は、自分ではわからないのかも知れません。

「ベルサイユのバラ」の漫画家であり、オペラ歌手でもある池田理代子氏によると、歌唱指導者の指導を常に受けていないと、自分の声を見失うそうです。

ガム父さんは、チューインガムの声を最大限に理解し、愛し、育んでいったと思います。前期チューインガムにあって、後期チューインガムになかったもの、それはガム父さんではなかったか?と思います。

前期チューインガムの完璧とも思える歌声は、ガム父さんの、ときには優しく、またときには鬼よりも怖い指導の、たまものではなかったかと思います。指導が、あまりにも厳し過ぎたため、チューインガムは、ガム父さんの影響から離れたかったのではないかと、想像しています。

アメリカ留学について

資料室ディスコグラフィーによると、1976年(昭和51年)に発売された「だいだいラプソディー」を最後に、チューインガムは歌手活動をやめ、アメリカ留学しました。このとき、りかさんは17歳、マミさんは15歳でした。

私は、「かたくりの花」「だいだいラプソディー」で、歌の世界において超一流となったチューインガムが、何故、急に歌手活動をやめて留学したのか、とても疑問に思っていました。ガム父さんは、きっと子煩悩な方だったと思います。
目の中に入れても痛くない、二人の娘を海外留学させるのには、かなりの心理的葛藤があったものと思います。波荒れる太平洋に、ボートで送り出すような、心細い気持ちだったと思います。

もし私に娘がいたとしたら、アメリカ留学など怖くてさせられません。留学を許したのは、ご両親の愛情・包容力・忍耐力だったと思います。また、チューインガムがアメリカ留学を決心したのは、お二人が高校の英文科に進学した影響が最も強かったのでしょう。それと資料室によると、最後の曲「だいだいラプソディー」に、お二人と会社が全力を注いだにもかかわらず、あまり売れなかったようです。このことも原因となっていると思います。

この留学の時点から、私はチューインガムの活動を見失いました。お二人にとっては,とても充実した留学生活だったと思います。また身に付けた英語力は、後期チューインガムで十分に発揮されました。将来の海外生活の基礎固めにもなりました。しかし、私個人にとっては、残念なことでした。
留学せずに、歌手活動をずっと続けてくれていたら、と思うことがよくあります。

二種類の発声法

私は最近まで、後期チューインガムは前期の歌を歌わなかったと思っていました。後期チューインガムは、フォークやポップスから離れようとし、前期から脱皮しようとしたと思っていたからです。

しかしサポディラ掲示板でのスマジャコさんのカキコを拝見すると、後期チューインガムは、前期の歌を、ライブでときどき歌っていたようです。

私がスマジャコさんに、「声に違和感が無かったですか?」と聞くと、無かったとのことでした。このことと「Together」の歌い方から推測すると、後期チューインガムが前期の歌を歌うとき、前期と同じような発声で歌っていたのではないか?と思います。前期の最高峰「かたくりの花」と同じような歌唱法で、歌っていたのではないでしょうか?

すると後期チューインガムは、前期と同じ発声法と、後期特有の発声法という、二種類の発声法をもっていたと思います。
1.前期・・・喉に負担をかけない、素直な発声法

2.後期・・・喉にグッと力を入れた、パワフルな発声法

 
     


●「かたくりの花」と「だいだいラプソディー」との間」
     
 
「だいだいラプソディー」は、チューイングファンに、人気のある曲です。私もシングル発売当時、この曲を聴いてすぐ購入しました。

しかし、今この曲を聴いてみると、直前のシングル・・・A面「かたくりの花」・B面「四季桜」と微妙な違いがあると思いました。その違いですが、何点かあります。

まず最大の違いは、りかさんの声が、私には、わずかに低くなっているように思えます。そのため、マミさんの声との違いが、はっきりとわかりません。「かたくりの花」では、高音と低音が、はっきり分離されて聴こえます。

ハーモニーの高音・低音の設定がもともと違うのかも知れません。しかし、りかさんのソロの部分を聴くと、どうも、わずかに低いように思えるのです。

「かたくりの花」での、リカさんの高音は、シャープな切れ味があり、雲を突き抜けていくかのような、瞬発力があると思います。ハーモニー部分も、斉唱部分も同じです。

「だいだいラプソディー」の、りかさんの声は、ソロ部分のメロディー自体が、それほど高音でないこともあり、ソフトで優しい感じです。ハーモニー部分でも、お二人の声の差が、よくわかりません。そのため、「かたくりの花」までは、超立体的に聴こえていたハーモニーが、少し平面的になったような気がします。

「四季桜」はどうかと思い聴いてみましたが、だいたいA面と同じ感じでした。そのため、マミさんとのハーモニー部分で、お二人の声の差がわかりづらいように思います。つまり、ハーモニーというより、どちらかと言えば、斉唱に近いような感じです。

こうしたハーモニーの傾向は、「バハマ」以降も続いているように思います。自然に、そうなったのか、最初から意図されたのかはわかりません。

私は今まで、「だいだいラプソディー」と「バハマ」の間に、大きな差があると思っていました。

しかし、今聴いてみると、「かたくりの花」と「だいだいラプソディー」の差の方が大きいと思っています。つまり、チューインガムの歌は、私個人の感想として、この二曲の間で前期・後期と、大きく分けられるような気がします。
 
     

●濁音が続くタイトル
     
 
「風と落葉と旅びと」のタイトルは、チューインガムファンにとって最も馴染みが深いものだと思います。チューインガムと言えば「風と落葉と旅びと」と言っても過言ではありません。

慣れ親しんだタイトルではありますが、一音一音を注意深く確かめてみると、風も、落葉も、旅びとも、濁音を含んでいることに気がつきます。かぜ(ZE).おちば(BA).たびびと(BI)です。たびびと、に関しては、一語に2つも濁音を含んでいます。

チューインガムの全曲を見ても、濁音が4つも続くタイトルは無いと思います。チューインガム以外の、日本で作られた全ての歌を考えても、こうしたタイトルは珍しいのではないでしょうか?

爽やかなイメージのタイトルでありながら、人生の重み、というものを感じるのは、この4つの濁音が影響しているのではないかと思っています。
 
     


●動物たちの世界
     
 
皆さんは、チューインガムの「動物たちの世界」は、アフリカの歌だと思っていませんでした???

実は私は、つい最近までアフリカの歌だと思っていました。ところが先日、旅行中にこの歌を聴き、「全世界の動物の歌」だということに、ハッと気が付きました。

♪虎よ 鹿よ 馬よ ライオンたちよ♪

ライオン・馬・鹿は、アフリカにいますが、虎はアジアにしか、いません。

♪象よ キリンよ 豹よ カンガルーたちよ♪

象・キリン・豹はアフリカにいますが、カンガルーはオーストラリアです。

したがって、この歌は、全世界の動物に対しての歌だと思います。

♪強いものも 弱いものも 自然のおきてに 守られながら 生きています♪

これを今の日本に当てはめると・・・

「弱肉強食の政策」はいけない!と言っているわけです。規制緩和ばかりが良いのではない、経済にも一定のルールが必要だということだと思います。マミさんが若干、小学校5年生にして、この壮大かつ弱者救済の詩を書き上げたのだと、感嘆せざるを得ません。

りかさんが、この詩にすごく感動して作曲したと言っておられました。私は、その意味がわかりませんでしたが、最初に聴いてから30年も経ってようやく理解ができました。

チューインガムの曲は、奥が深いと思います。
 
     

逃げた小鳥
     
 
「逃げた小鳥」の特徴は以下の通りです。

1.実話を歌詞にしている

この歌詞に出てくる「小鳥」は、ファーストアルバム「小鳥よとびなさい」に出てくる小鳥です。この小鳥は、マミさんが、どこかで拾ってきました。名前は「ムク」、手乗りインコでした。

ですから、ファーストアルバム「小鳥よとびなさい」と、セカンドアルバム「逃げた小鳥」は、姉妹ソングなのです。小鳥よ飛びなさい、と歌ったら、1年後、本当に逃げて飛んでいってしまった、ということです。(T_T)

このムクちゃんが、ある日、エサを与えるときに鳥かごから逃げてしまいました。想像した物語ではなく、実話を元にしているため、聴く人の心を打つのです。また、「♪どこにいるのか小鳥は♪」の所は、RIKA&Mamiさんの切ない気持ちが、強く出ています。一曲通して、歌声には目一杯の感情が移入されていて、思わず歌の中に、引き込まれます。

2.初めて作った短調の曲。

セカンドアルバムのライナ-ノーツによると、この曲はリカさんが初めて作った短調の曲だそうです。楽譜がないものですから、私が電子ピアノで、この曲を弾いてみると、最初の音はファだとわかりました。♪今緑の・・・♪の「い」の音です。全曲メロディーだけ弾いてみると、ミ・ラ・シの音が半音下がっていて、黒鍵で弾くことがわかります。したがって、この曲は「ハ短調」です。

たつしさんがコメントで、「チューインガムの曲の中で、最も暗い曲」だとおっしゃいましたが、曲調からすれば、実はその通りです。このハ短調は、「悲劇を思い起こさせる曲調」なのです。

以前から「岡田さんの手紙」こそが、初めての短調の曲ではないか?と思っていました。歌詞が悲しい響きをもっているからです。しかし先日、実際に電子ピアノを弾いてみたところ黒鍵を使わないことから、長調の曲だとわかりました。リカさんの説明が立証されました。

短調の曲は、昔から日本人が歌い継いできました。民謡には短調の曲が多いのです。日本人の精神構造には、哀調を帯びたメロディーが大きくかかわっています。

3.りかさんの息遣いが聞こえる。

チューインガム1・2CDの全曲を聴いても、「りかさんの息遣いが聞こえる」歌は、「逃げた小鳥」しかありません。静かな環境で聴いていると、フーッという息を吸う音が、はっきりと聞こえてくるはずです。
この呼吸音は、1番と2番の、りかさんのソロ部分だけに聞くことができます。ハーモニー部分になると、伴奏が大きくなって聞こえません。

中学2年生の、りかさんの呼吸音です。りかさんの優しい呼吸音は、リアルな生々しさを伴って私の耳に迫ってきます。大きく口を開けているのではなく、「エ」という発音のような口の開き方で吸っているように思えます。マイクに向かっている姿が、ほうふつとしてくるようです。映像として想像できるほどです。

呼吸音が大きいのは、小節の最後の音を長く伸ばすため、次の小節を歌う前に、大きな息継ぎが必要だからです。
 
     

●海のみえる放送局
     
 
ハワイアンソングのような、明るい曲調と伴奏です。この歌詩に出てくる放送局は、ハワイの放送局だとばかり思っていました。30年近く・・・。この曲を聴くとき、いつもハワイの海岸を想像していました。ウキウキした気分に浸っていました。

実際には、須磨の海岸近くにある、小さな放送局がモデルです。資料室掲示板によると、ラジオ関西だった?ような記憶があります。

りかさんの「♪ここは海のみえる」の部分の歌声を聴くと、高音がすでに完成していることがわかります。

この曲は、他の曲と違って、斉唱部分が多いのです。斉唱部分の歌声のボリュームは、りかさん100%とすると、マミさん90%位。明るい歌でありながら、どこか哀愁を感じるのは、マミさんの声が比較的大きいからだと思います。
「♪マイクを通して」の所に、その傾向が強くみられると思います。

前期チューインガムの、平均的ボリュームバランスは、りかさんを100%とすると、マミさん70%だと思います。他のデュエットをみても、高音と低音のバランスはこの位だと思います。マミさんの声が70%を超えると、哀愁を帯びた歌になってくると思います。
 
     

●Together その1
     
 
「Together」は、グループ名MOREとして、1985年5月5日に発売されました。このとき私は33歳。りかさんは、26歳くらいでしょうか。

このころ、テレビコマーシャルで毎晩、「Together」を聴いているのですが、外人が歌っているとばかり思っていました。それだけ、お二人の英語発音が正確だったということでしょう。

この年の8月12日には、日航機123便の墜落事故がありました。

以前に、この曲について細かく記していますので、簡単に書きますね。

「バハマ」以降、チューインガムは、いろいろ試行錯誤しながら、前期チューインガムから飛躍しようとしていたと思います。

また、りかさんが、「あんな可愛い声(前期チューインガム)なんて出やしない。」とおっしゃっていることから、声質自体は、大人っぽい落ち着いた声になってきたのでしょう。

しかし「Together」では、前期チューインガムのように、りかさんのハチミツのような甘い声、マミさんの甘酸っぱいヨーグルトのような声が復活しています。

特に、りかさんの「♪あなただけに めぐり逢えた」という箇所は、しびれます。

この歌い方を持続していただければ、日本を代表するデュオになったと思いますが、この曲を最後に歌謡界を離れてしまわれ、残念でたまりません。
 
     

●Together その2
     
 
RIKA&Mamiさんの歌だと、わからなかった理由

私は、当時このテレビCM曲を毎日のように聴きながら、RIKA&Mamiさんが歌っているとは夢想だにしませんでした。それは、このCM曲が英語バージョンだったせいだと思います。とても流暢な英語だったため、外人グループが歌っているとばかり思っていたのです。ちなみにチューインガムCD1の「Together」は、日本語バージョンです。

ケネディー大統領の演説セリフを、映画「ランボー」でおなじみの俳優、シルベスター・スタローンが話し、そのバックコーラスとしてMOREが歌っていました。そのため、スタローンのセリフの方に注目してしまい、歌の方には、それほど関心が向かなかったせいもあると思います。

また、この歌は、それ以前に何度も聴いたことがありました。外人が歌っていました。演説と歌をうまく組みあわせたものだな、と感心したことを覚えています。

『ケネディと歌おう』 - Sing Along With JFK
音楽プロデューサーのジョージ・アトキンスとハンク・レヴィンの手により、1961年の就任演説を今で言う「サンプリング」の手法でコーラス曲と絡ませ1963年に制作したアルバム。沒後に「自由の讃歌(LET US BEGIN BEGUINE)」がシングルカットされ、特に日本では1986年にシルベスター・スタローンが出演した麒麟麦酒のCMに改めて使用されるほどのヒットとなっている。

チューインガムCD1には、「Together」(LET US BEGIN)とタイトル名が書いてありますが、元歌の正式名は「LET US BEGIN BEGUINE」のようです。

「LET US BEGIN BEGUINE」で検索すると、スタンダード曲「BEGIN THE BEGUINE」もヒットします。おそらく、ケネディー大統領の演説の言葉「LET US BEGIN」と、「BEGIN THE BEGUINE」を掛け合わせて作ったのが、このタイトル「LET US BEGIN BEGUINE」だと思われます。また、ビギンのリズムの歌、ということもあると思います。

ビギンのリズムというものが、どういうものか明確にはわかりません。しかし、曲のバックに入っているドラムのリズム「ダン・ダ・ダンダン」がビギンではないかと想像します。
 
     

●Together その3
     
 
りか&マミさんの歌い方

「Together」における歌い方の特徴は以下の通りと思われます。
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1.前期チューインガムの声に戻った
2.完璧な歌唱力
3.超低音部分の声の安定
4.超高音部分へ移行するときの、変化の滑らかさ
5.りか&マミさんの英語発音の違い
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1.前期チューインガムの声に戻った

「バハマ」以降、前期チューインガムとは、全く別の発声法になったと感じていましたが、「Together」で前期チューインガムを彷彿とさせる声に戻ったと思います。「Together」と「かたくりの花」を比べるとよくわかりますが、声に違和感がありません。懐かしい、りか&マミさんの声だな、とはっきりわかります。

ところが「「Together」」以外の後期チューインガムの曲を聴くと、本来の、りか&マミさんの声とは違う感じがします。私の想像ですが、アメリカ留学中、アメリカ人の女性デュオやトリオの影響を受け、声自体をアメリカ人風に創作していったのではないかと思っています。ですから、後期チューインガムを日本人と考えず、アメリカ人のデュオと考えると、歌を素直に理解できると思います。前期チューインガムの声と比較していると、理解できません。

声の創作については、美空ひばりの例があります。大人になって声変わりしたため、裏声を駆使することを学び、「七色の声」と賞賛されるようになりました。

しかしチューインガムにとって、声の創作は、のどに、かなりの負担をかけたと思います。迫力のある声とも言えますが、絶叫に近い声もあり、チューインガムの歌手生命を、短くさせた根本的原因とも考えられます。「バハマ」では、あまりわかりませんが、次の「ブロークン・ハート」で、りかさんの声に違和感を感じます。

チューインガムの理想的な歌唱法は、全力で歌う場合の70%くらいの声量で歌うことだと思います。シャウトするのではなく、人とおしゃべりする位の声量がベストと考えます。カバー曲「赤い風船」を歌うときの、優しい声がベストなのでしょう。このくらいの感じが、最もチューインガムらしい歌声だと思います。

その点で「Together」では、超高音部を除き、平均70%位の声量なので、チューインガムらしさが出たのだと思います。また、この曲はCM曲でもあるため、個性ある発声法より、前期チューインガムの素直な発声法が求められたのだと思います。キリンビールを、なるべく多くの人に飲んでもらうことが、使命だったのです。

万人に受け入れられる素直な歌い方が、スポンサーから要求されたのではないかと思います。ひょっとして、久しぶりに、ガム父さんの指導を受けたとも考えられます。
 
     

●Together その4
     
 
りか&マミさんの歌い方(2)

5.りか&マミさんの英語発音の違い

「Together」という単語の発音ですが、りかさんの発音とマミさんの発音を比べると、わずかの違いがあります。1番は、りかさんのソロ、2番はマミさんのソロなので、違いがよくわかります。

りかさんは、「トゥゲザー」と発音します。マミさんは「ツゲザー」に近いです。これは、かなり意識を集中しないと、わからないかも知れません。この件に関しては、資料室掲示板で、お二人に確認したところ、間違いありませんでした。

そんな事、どっちでもいいじゃないかって?(^○^)

すみません、m(__)m トップにも書きました通り、「できる限り深く掘り下げながら、こだわりをもって書き綴っていきたいと思います。」という方針ですので・・・。

アメリカ人は、「トゥギャザー」と発音する人もいるようです。でも日本人には、りかさんの「トゥゲザー」が最も、耳障りが良いのではないでしょうか?

発音における、りかさんとマミさんの微妙な違いは、お二人が別々の所で生活していたためです。りかさんはアメリカの都市部、マミさんは田舎です。おそらく、りかさんの発音が標準語で、マミさんのはスラング(なまり)だと思われます。

一緒に生活すれば経費もかからないのに、と思いがちです。しかし一緒だと、二人で会話してしまい、語学の習得に差し支えがあったものと思います。

他の英語といえば「Let us begin」だけですが、この部分は斉唱ですので、違いはわかりません。

英単語は少しですが、発音だけ聞いても留学の成果が実っていることがわかります。単語「Together」は、連続して出てくるので、特に目立ちます。この発音が、歌の成功を不動のものにしたと思います。また、「Let」の発音も長く伸ばすため、特に、小さく入れる「トゥ」が難しいと思います。

当時、無数の歌手のなかから、りか&マミさんに白羽の矢が立ったのは、歌唱力と、さらに英語発音が抜群だったからだと思います。

お二人の留学年数は不明ですが、流暢な発音から察すると、前期チューインガム最後の曲「だいだいラプソディー」から後期チューインガム最初の曲「バハマ」発売までの間の、単年ではなく、複数年を費やしていたのではないかと思います。日常会話はもちろん、通訳ができるレベルに達していたと推測されます。

ところで、英語バージョンをぜひ聴いてみたいところです。CMが流れた当時、チューインガムのお二人が歌っていると、気が付かなかったくらいですから、完璧なアメリカ英語なのだと思います。歌は、その国の言葉で歌うのがベストなので、どちらかというと、日本語バージョンより、英語バージョンの方が優れているのではないかと思います。
 
     

●Together その5
     
 
りか&マミさんの歌い方(3)

2.完璧な歌唱力
3.超低音部分の声の安定
4.超高音部分へ移行するときの、変化の滑らかさ

この曲の前奏で最も印象的なのは、アコーディオンの物悲しい響きです。このアコーディオンの音から連想するのは、・・・シャンソン。そして、りかさんの低く柔らかな声から、歌は、ゆっくりと滑り出します。
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フランス、パリ郊外の歩道を妙齢の婦人が歩いている。

ころは10月、夜10時過ぎ。あたりは暗く、街灯の薄明かりだけが足元を照らしている。婦人はコートをはおっているが、スカートが少し寒そう。ハイヒールの「コツン・コツン」という音が石畳にこだまする。長く続く石畳は、夕方降った雨で、しっとりと濡れている。

道の両脇には、中世を思わせる古い家並みが続く。ふと左側を見ると、セーヌ川が流れている。川の端に点在する街灯の光が、波間に反射して揺らいでいる。

・・・今夜、あなたに巡り合えた喜びが、私の心を暖かくさせている。・・・明日から、二人の生活が始まる、Let us begin・・・。
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1番(りかさん)♪熱い瞳離さないで・・・ここの「で」で音が一段下がります。自分で歌ってみるとわかりますが、かなりの低音です。おそらく前期チューインガムでは、声が出なかったか不安定になっただろうと思います。この音が安定して出ているのには、感動します。

2番(マミさん)♪夜を駆けてつつんであげたい・・・ここの「い」も同じように素晴らしい安定感をみせています。大人の女性の、情感というものが出ています。

1番(りかさん)♪熱い瞳離さないで・・・ここの「は」の1音に、強烈な感情が入っています。頭を少し振りながら、歌っているかのように感じます。

2番(マミさん)♪夜を駆けてつつんであげたい・・・「駆けて」の3音に、毅然(きぜん)とした、決意のようなものすら感じます。

りかさん♪ふたりならば胸の痛み・・・
ここの、「ふたり」「ならば」という所が最大の注目点です。
「ふたり」と優しく歌い、次の「ならば」を、別人のように強く歌っています。まなじりを決して、前方を、キッと見据えているかのような、強い印象をもちます。一つ一つの言葉を大切にした、歌い方だと思います。

最後の♪Together~Let us begin・・・お二人は、何種類もの「裏声」を習得したと言っていました。これは、後期チューインガムの最大の収穫だと思います。おそらく、このラストのパートでは、3段階くらいの「裏声」を使っているとみています。3段変速のような滑らかな切り替えで、裏声とわからないほどです。

最後の「Let us begin」がチューインガム最後の歌声となりますが、
この超高音を歌える歌手は、めったに、いないのではないかと思います。
 
     


●かたくりの花 その1
     
 
「かたくりの花」の特徴

1.ガム父さんの作詞・作曲
2.ガム父さんの指導で、大人っぽい歌い方に変化
3.1番は、りかさんソロ。2番は、マミさんソロ。
4.前期チューインガムの最高峰
5.ビブラートが強くかかっている
6.悲恋の歌
7.レコーディングのとき、マミさんは、風邪をひいていた
8.ラストのスキャット「♪ラララーラ・・・」は、全曲中でもベスト1
9.りかさんの声に、しっとりとした大人の女性の雰囲気が付加された
10.マミさんの高音に、響きが出ている
11.弦楽器の金属的な音が、かぐや姫の「あかちょうちん」を彷彿とさせる
12.弦楽器のトレモロが、ロマンティックな雰囲気を盛り上げる
 
     

●かたくりの花 その2
     
 
1.ガム父さんの作詞・作曲

ご存じの通り「かたくりの花」は、ガム父さんの作詞・作曲ですね。繊細な感覚にあふれた詩とメロディーで、聴くたびに私はいつも胸キュンになっちゃいます。楽しい雰囲気の「ネス湖の怪獣」・「ゴリラの歌」を作詞・作曲した方とは、とても思えないほどなんです。まあ「ゴリラの歌」は、本当をいうと悲しい歌なんですがね。

この歌を最初に聴いたとき感じたのは、驚きでした。
「かたくり」という植物が存在し、それにもまして花が咲くということが驚きでした。
片栗粉というものは知っていました。よく母が、お汁粉の中に片栗粉を入れ、とろ味を出していました。食感のなかでだけ知っていた「かたくり」が、花という視覚をともなって眼前に現れた、という感じでした。・・・とても新鮮な驚きでした。

色々と調べてみると、昔は実際に「かたくり」から片栗粉を採取していたらしいのですが、今はジャガイモのでんぷんを片栗粉として使っているようです。使用量が格段に増加した、ということなんでしょう。

ラジオのコッキーポップスを聴いてすぐにレコードを買いました。私は、ファーストアルバム・セカンドアルバム・ヒット全曲集と3枚のLPを持っていますが、シングルは「リルケの詩集」・「かたくりの花」の2枚だけです。今思うと、それだけ、この2曲に感動したということだと思います。

この曲を聴くとロマンティックなシーンが、まぶたに浮かびます。この詩の中で重要な言葉は「かたくりの花・高原・白樺・風・さよなら・映画」の6つです。これらの言葉が、情感をとても豊かにしていると思います。しかし最も重要な言葉は「うす紫・ひかる」です。

まず、「かたくりの花=植物・高原・白樺・風・さよなら・映画」についてです。歌詞に「山のロッジでさよならした まるで映画みたいに」とあります。ここで疑問が湧いてきます。一つは恋愛映画の、毎度おなじみのシーンのように別れたのか?もう一つは、ある特定の映画、のシーンと同じように別れたのか?という二者択一の問題です。

ガム父さんは、信州をイメージして、この曲を作りました。ガム父さんは、信州そばが大好きで、よく信州を訪れていたそうです。しかし、信州の、かたくりの花の群生地を実際に訪れたわけではないのでは?と思います。想像で書いたのではないでしょうか?。写実的に書いたのではなく、昔に見たか、本かテレビかで見た、かたくりの花の記憶と、信州をミックスして頭脳の中で熟成したのが、この詩だと思います。詩というものは、想像で書いた方が、優れたものが書ける場合があるようです。特に、歌の有名作詞家の話では、そのようです。現実的に見てしまうと、ロマンティックな詩は書けないのかも知れません。
 
     

●かたくりの花 その3
     
 
先週の記事で、「うす紫・ひかる」が最重要と書きました。

♪春の日の思い出は うす紫にひかる絵のような幻♪

「うす紫」は、早春の涼しさ・清新さを表しているとともに、気品を感じさせる色だと思います。紫は日本皇室の色でもあり、高貴の象徴です。

「うす紫」は、また「はかなさ」をも感じさせます。「かたくりの花」の、詩全体を象徴する言葉であり、暗に悲恋を象徴していると思います。

「ひかる」は当然「光る」と漢字表記すべきところですが、平仮名にすることで強調することになると思います。

ところで、私が10前後のHPで「かたくり」の写真を見ても、光っているようには見えませんでした。

「かたくりの花」は、現実に光っているのではなく、思い出の中で、そして心の中で「光っている」のだと思います。
何故「かたくり」という名前が付いたか?ですが・・・栗の実を半分にしたような球根の形から、片栗という名がついたそうです。
 
     

●かたくりの花 その4
     
 
2.ガム父さんの指導で、大人っぽい歌い方に変化

資料室掲示板で、私がRIKAさんに「かたくりの花、の歌い方は、それまでの歌い方とは、かなり違っているように思いますが、いかがでしょうか?」と尋ねました。

するとRIKAさんは「かたくりの花、の練習のとき、お父さんが大人っぽい歌い方を指導してくれました。」と言いました。
これらの問答は、資料室掲示板が始まってから半年以内の過去ログに、必ず記録されているはずです。

そういえば、「かたくりの花」で、それまでの子供っぽい歌い方を脱却したようにも感じられました。しかし、すでに「リルケの詩集」では、かなり大人っぽい歌い方をしているように思います。また、「かたくりの花」直前の「青い島」では、肺活量が増し、声量が飛躍的に増大しているようです。

では、「かたくりの花」の一体どこが、大人っぽい歌い方なのでしょうか?

ヒント:ガム父さんが、宝塚音楽学校で声楽指導をされていた。
 
     


●かたくりの花 その5
     
 
2.ガム父さんの指導で、大人っぽい歌い方に変化(2)

ガム父さんは、宝塚音楽学校で声楽指導をされていました。このことから考えると、チューインガムに対する指導方法が、どのようなものだったかが想像できます。

宝塚音楽学校での指導は、将来のタカラジェンヌとして、さらにはトップスターとして、必要とされる声楽を指導する、ということだったと思います。

宝塚音楽学校↓

http://www.tms.ac.jp/

入学案内の項目をクリックし、入学式の写真を見ると1学年50人とわかりました。また、「少人数制の声楽」をうたっています。そして声楽授業の写真を見ると、10人づつの授業のようです。1学年50人なので5つのグループに分けられます。

音楽学校は2年制の学校なので、2学年で、10のグループができます。声楽の先生が何人おられたのかわかりませんが、少人数制の授業という性格上、先生の御苦労は大変だったのではないかと思います。

RIKAさんによると、ガム父さんは普段、特にチューインガムへの指導をすることはなく、レコーディングのときだけ厳しい指導があったそうです。いつもは、音楽学校の指導に忙殺されていた、と想像されます。

しかし、声楽の基礎については、一つ屋根の下に暮らしているわけですから、幼いころから適宜、教えていたと思います。
 
     


●かたくりの花 その6
     
 
2.ガム父さんの指導で、大人っぽい歌い方に変化(3)

RIKAさんから、「大人っぽい歌い方」と聞いたのは、資料室掲示板が始まってから間もないころでした。5年ほど前でしょうか?その後、ずっと、「大人っぽい歌い方」とは、どんな歌い方だろう?と自問自答してきました。しかし、何となくわかるのですが、明確にはわかりませんでした。

それがはっきりわかったのは、昨年の盆前でした。以下、資料室掲示板での、レスの応答です。

KEN「お盆に東京の友人とカラオケに行くことになっているのですが、私は高い声が出ません。どうしたら高い声が出るのでしょうか?」

Mamiさん「お腹に力を入れて、頭のてっぺんから声を出すようなイメージで歌えば、良いのです。」

Mamiさんは、アメリカでフォークギターと歌の先生をされています。私は、なるほど!と納得しました。

と同時に、「お腹に力を入れて歌う」ということが、大人っぽい歌い方ではないか?と思いました。
 
     

●かたくりの花 その7
     
 
2.ガム父さんの指導で、大人っぽい歌い方に変化(4)

「お腹に力を入れて歌う」

このことを最も感じる個所は・・・

♪春の日の 思い出は♪の最初の発音
「春」の「は」の音です。

お二人が声を揃えて、目一杯のパワーで歌っているように感じます。エネルギーを一気に爆発させるような歌い方です。これは、チューインガムが歌い始めてから「青い島」まで、なかった歌い方だと思います。

この声量だと、例えば宝塚の舞台でマイク無しで歌っても、最後部席まで歌声が届いたのではないでしょうか?ガム父さんは、まさにそのような声量の歌声を「大人っぽい歌い方」と考えていたと思います。

ガム父さんは、宝塚音楽学校の先生として、大人の年齢に近づいたチューインガムに、声楽の根本を教えようとしたのではないでしょうか?

この、爆発的と思われるようなパワフルな歌い方は、次の曲「だいだいラプソディー」では、影をひそめます。その理由は・・・。
 
     

●かたくりの花 その8
     
 
2.ガム父さんの指導で、大人っぽい歌い方に変化(5)

チューインガムは、フォークデュオとして出発したので、「かたくりの花」までは、フォークソング的な歌い方だったと思います。つまり、歌声の強弱をつけず平坦に歌うということです。軽く柔らかい調子で歌っていたと思います。

それが、この「かたくりの花」では、海の大きな波のような感じで、歌声の強弱・メリハリがしっかりついています。
静かな歌声から大きな歌声までの、波の振幅がとても大きいのです。
同じ短調の歌「逃げた小鳥」と比較すると、その歌い方の特徴がよく理解できます。

また、りかさんの歌声は生まれつき、ハチミツのような甘さを誇っています。

しかし、甘ったるい感じではなく、また甘えた声でもありません。ご本人は「甘ったるい声で、嫌いだ」と言っていますが、謙遜されているのでしょう。自分の声が嫌いな人はいないと思います。(^○^)
ところで、偶然ですが、りかさんの、お誕生日は8月21日で、「ハニーちゃん」と覚えておいてください。

ただ、プロ歌手、つまりオペラ歌手やタカラジェンヌの声を聴くと、甘い歌い方の人はいません。ただし、アイドル歌手は別です。
プロ歌手としては、甘い声は必要ではなく、標準的な発声法が求められたと思います。それこそが「大人っぽい歌い方」だったと思います。

わかりやすい例でいうと、山本リンダです。彼女の歌い方の変化をみると、甘ったるい歌い方が、大人っぽい歌い方に、どう変化したのかわかります。「こまっちゃうな」→「うわさを信じちゃいけないよ」という急激な変化です。

しかし「かたくりの花」では、大人っぽい歌い方と甘い歌い方が混在しています。
 
     

●かたくりの花 その9
     
 
かたくりの花の最初の記事に「3.1番は、りかさんソロ。2番は、マミさんソロ。」と書きましたが、よく聴いてみると、もっと複雑なことがわかりました。

1番 ♪覚えていますか~咲いていたのを・・・・・・・りかさんソロ
   ♪あの時あなたは~考えてたの・・・・・・・・・マミさんソロ
   ♪私は私で写真をとって~ひかる絵のような幻・・デュエット

2番 ♪知りたい事など~映画みたいに・・・・・・・・りかさんソロ
   ♪二人の出会いとかたくりの花・・・・・・・・・マミさんソロ
   ♪高原の風に吹かれて~ラスト・・・・・・・・・デュエット

ですから、1番と2番の両方に、りかさんソロと、マミさんソロがあります。また、1番のマミさんソロは、歌詞にして3行分あります。しかし2番では、「♪二人の出会いとかたくりの花」の1行だけになっています。

マミさんファンにとっては、ソロが少なく残念ですが、デュエット部分を増やして迫力を増すという意味が、あるのではないでしょうか?
 
     

●かたくりの花 その10
     
 
ゆらぎ

「かたくりの花」では、「ゆらぎ」が多用されています。メロディーより、半音か1音下げた音、または上の音から発声し、すぐメロディー通りの音に落ち着きます。ピアノでいうと、隣り合う白鍵または黒鍵です。1オクターブ下から、1オクターブ急上昇する個所もあります。

つまり、1音を単音で発声するのではなく、隣り合った、または離れた2音で発声する、ということです。

この「ゆらぎ」があることで、歌の変化が出るとともに、女性らしさが出ると思います。

1.♪春の日の思いでは

(は)あ-るの日の・・・(は)は旋律より少し低め。「あ」の音は、旋律通り。

2.♪うす紫にひかる

む(う)(う)(う)ら(さ)あきに・・・3つの(う)で表現していますが、1番では、正確には無段階かつ滑らかに上昇していきます。まるで、飛行機が上昇していくような、壮快感を感じます。

この「む(う)(う)(う)」の部分は、ビブラートをかけ、震えながら上昇していきます。「かたくりの花」の中でも、まさに絶品です。

りかさんの歌唱法の特徴の一つに、「極めて滑らかに、上昇または下降する歌声」があげられると思います。

2番では、少し段階的になります。

(さ)は少し低めで、(あ)で戻ります。

私は、チューインガム以外の歌手を集中して聴いたことがありません。他の歌手については浅薄な知識ながら、未だかつて、チューインガムのような歌手に巡り合っていません。天女が空を舞うように、すべるように滑らかに、上昇または下降する歌い方は、特筆すべきものだと思います。


3.♪絵のような

えの(ぉぅ)ような・・・(ぉぅ)が少し高めです。ここの「ゆらぎ」は、1番と2番が、全く同じように発声されていることに驚きます。よく聞き比べていただくと、正確さがわかると思います。

4.スキャット

ららら~らららららら~らら
ららら~らら(あ)ららら(ん)ら~

ららら~らららららら~らら
ららら~らら(あ)ららら(ん)ら~

この部分の(ら)と(あ)の音の差は、1オクターブもあります。よく注意して聴かないとわかりません。とても可愛らしい感じが出ていると思います。声が裏返っているのでは?と勘違いする位の急上昇です。最後の方で「らん」と発声していますが、「ら」の連続より、ずっと女性らしさが出ています。

これらの「ゆらぎ」は、すでに「トヨナカ・シティー」から使われています。そしてこの「かたくりの花」で完成されたと思います。この「ゆらぎ」については、チューインガムのお二人が、アドリブで歌っているとばかり思っていました。

しかし、1番と2番が、全く同じように歌われていることから、アドリブではなく、楽譜通りに歌っているのではないかと考えています。

また、「かたくりの花」が大人っぽい歌い方でありながら、少女の可愛らしさをも感じさせるのは、この「ゆらぎ」があるせいではないかと思います。

 
     

●クリスマス・アルバム その1
     
 
資料室ディスコグラフィーによると、クリスマス・アルバムは、1974年(昭和49年)10月21日に発売されました。私は、このころ大学の卒業研究に追われていました。研究発表会を1975年の3月に控えて、カラー・スキャナーに関する基礎実験を続けていました。そのころの業務用最新カラー・スキャナーは、ドイツ製で約1億円でした。(HELL社製DC300)そうした高価なスキャナーではなく、カメラ方式を取り入れた、安価なスキャナーを開発しようとしていました。カメラ方式+フライングスポット方式のスキャナーです。

そんなわけで、1974年2月21日発売の「リルケの詩集」は購入しましたが、続く1974年8月1日発売の「トヨナカ・シティー」は、ラジオから流れなかったため、発売に気付かず、購入しませんでした。実験が8月から始まったということもあります。秋からは、実験が佳境に入ったため、クリスマス・アルバムの発売には全く気付きませんでした。

もし購入していれば、冬の寒さの中で、血を吐くような辛い実験をしていても、アルバムを聴くことで癒されたのではないかと思います。徹夜の実験をしたり、コンクリートの床の上で寝袋に入って仮眠をとったりしました。あのときの無理がたたり、現在の体調不良につながっているような気がします。

明日から、曲の内容に入ります。チューインガムは、りかさんが甘い声、マミさんが甘酸っぱい声です。二人合わせたハーモニーとなると、甘さは倍増され、そして、とてもセクシーになります。賛美歌を歌うには、良い意味で、色気があり過ぎるような気がします。(^○^)クリスマスのラブソングの方が合うと思います。
 
     

●クリスマス・アルバム その2
     
 
私の選ぶベスト4

1.ブルー・クリスマス
りかさんの、伸びやかな高音のソロが光る。とても中学三年生のソロとは思えない、秀逸な歌唱力。感情表現が豊かで、泣かせる。ハーモニーの声量比は、りかさん100%とすると・マミさん70%。理想的なハーモニー。「♪なりわたる」という音程が下がっていく個所のみ、マミさんの声が目立つが、さわやかさが、あふれていて清清しく感じる。

2.ホワイト・クリスマス
歌詞の2行目 ♪just like the once I used to know の個所の、ハーモニーがゴージャス。高低の歌声が、ほどよく分離していて、聴き手を豊かな気分にさせる。

クリスマス・アルバムの中で、最も変わっているハーモニー。りかさんとマミさんの声量比がだいたい同じ。ところどころ、マミさんの声量の方が大きい個所もある。したがって、歌全体がマミさん特有の、「甘酸っぱい」雰囲気に包まれている。

マミさんが主旋律を歌い、りかさんが、主旋律の上のパートを歌う個所が多い。この独特のハーモニーは、その後5年という歳月を隔てて、後期チューインガムに継承されていく。

3.ア・ソーリン

単調なメロディーの繰り返しが多いのに、聴いていて飽きない。これは、チューインガムの、リズム感が良いためと思う。輪唱のパートを聴くと、りかさんとマミさんの声が似ている点、違っている点が良くわかる。マミさんが後ろのパートだが、曲のテンポが速いので、りかさんにピッタリ合わせるのが難しいだろうなあ、と思う。

ネット検索すると、この曲をPPMが歌ったらしい。反戦歌なのだろうか?

「soal」を英語辞書で調べたが出ていなかった。「soalin」と、動詞で使われていたり「a soal」と名詞で使われたりしている。「a cake」というのはクリスマスケーキの事らしい。とすると、ケーキを修飾している言葉かも知れない。

4.孤独の煙突掃除

ガム父さんの作詞が素晴らしい。「本当のクリスマス」を表現している。作曲者はジュゼッペ・ベルディー。イタリア人で、オペラの有名な作曲家。「椿姫・アイーダ・オテロ・リゴレット」などの作品がある。

りかさんが「Spazzacamino」とシャウトしているが、イタリア語は全くわからないし、辞書がないので翻訳不可能。「煙突掃除」のイタリア語なのだろうか?

クリスマスは、決して、恋人たちだけのもの、ではない。

クリスマスは、家庭に愛をもたらすもの。

しかし、最も大切なことは、社会の底辺であえぐ人たちに、愛と希望を与えること。ガム父さんは、キリスト教徒の立場から、このことを言いたかったのだ、と思う。
 
     

●だいだいラプソディー その1
     
 
「だいだいラプソディー」のイメージ写真を探していましたが、幸いなことに、とても良い写真が見つかりました。ある方のHP(趣味が写真でいらっしゃる)から、拝借してきました。夕陽に向かってシャッターを切っているので、逆光となり、やや暗い感じがします。

しかし、海の方向から二人を見れば、まだかなり明るいはずです。また、若い男女が仲良くしているので、かなり雰囲気は出ていると思います。

♪あなたの瞳にだいだい色の 私が映ってる♪(^○^)

どうでしょう?あなたの脳裏に、だいだい色に染まる女性と、彼女を見ている男性の瞳が、浮かびましたでしょうか?(^○^)

ところでラプソディーとは、何のことでしょうか?

英和辞典を見ると、「rhapsody」というスペルだとわかりました。意味は、自由奔放な幻想的楽曲、ということです。
「だいだいラプソディー」が発売されたのは、1976年6月21日です。私が大学を卒業して社会人となってから、二年目でした。当時、仕事に忙殺されていて、深夜作業(平均午前1時まで)が日常的になっていました。そんなわけで、コッキーポップは、ほぼ毎日聴いていたはずなのですが、「だいだいラプソディー」を聴いた記憶がありません。聴いていれば必ずレコードを買ったはずなのですが、実際には買っていないのです。

しかし30年後、チューインガム1の中に収録されている「だいだいラプソディー」を聴いたら、初めて聴いた感じがしませんでした。恐らく、30年前に聴いてはいたのですが、「かたくりの花」と、あまりにも歌い方が変化していて、チューインガムが歌っているとわからなかった可能性があります。

自分の部屋で、ラジオの音にじっと耳を傾けていたら、多分チューインガムとわかったかも知れません。しかし、仕事をしながら聴いていたせいで、わからなかったのだと思います。
 
     

●だいだいラプソディー その2
     
 
ユニゾン(斉唱)で統一された曲

「だいだいラプソディー」は、ハーモニーではなく、最初から最後まで、ユニゾン(斉唱)で統一されています。一部分でもハーモニーの箇所があるのでは?と思い、何度も聴き直しましたが、どこにもハーモニーは見当たりません。

♪あなたの瞳に♪の部分が、ひょっとしてハーモニーかも?と思いましたが、斉唱でした。

これは、チューインガム始まって以来の、試みだったと思います。私が、コッキーポップで、この歌を聴いてはいながら、チューインガムが歌っているとわからなかった理由の一つに、このことがあげられると思います。
「だいだいラプソディー」には、ハーモニーが含まれている、というコメントをいただきました。その後、何度も聴きなおしました。しかし、あると仮定して聴けばあるような気もするし、無いと仮定して聴けば、全く無いような気もします。
いくら聴いてもわかりませんので、私の主観のみで話を進めます。

私はハーモニーを聴くとき、まずマミさんの低音に注目しますが、この曲に限っては、マミさんの低音が、どの音階なのか、ほとんどわかりません。真相は、チューインガムのお二人に聞かないとわかりませんが、30年前のことなので、お忘れになっている可能性もあります。

もし万が一ハーモニーがあるとしても、高音と低音が近づき過ぎて、私のような素人には、ほとんどわからないほどのハーモニーではないか?と考えられます。
B面の「四季桜」のハーモニーが、高音、低音とも明瞭にわかることから考えても、それは言えると思います。

「近接したわかりにくいハーモニー」ということだと話が面倒になりますので、すみませんがユニゾンということで、話を進めさせていただきます。(^○^)


なぜこの曲をユニゾンで歌ったか?ですが、「♪だだいだい」という重要な言葉に、インパクトをもたせたかったからだと思います。
この言葉を、高音と低音がかなり分離したハーモニーで歌った場合、濁音の言葉にもかかわらず、歌声の印象が弱くなってしまうからでしょう。

また背景として、「かたくりの花」以来、マミさんの歌唱力がめきめき向上したことが、あげられると思います。特に、高音が滑らかに出せるようになったことが大きいと思います。また、声量も増大し、りかさんと肩を並べるまでに成長しました。

「かたくりの花」をレコーディングしたとき、マミさんは風邪をひいていました。この「だいだいラプソディー」でも、少し鼻声のように思います。

以上のことから、「だいだいラプソディー」は、りかさんとマミさんの、ダブルボーカルと言えるのではないでしょうか?
お二人が、ほとんど同じ大きさの声で、しかも同じ旋律を歌っています。この歌い方の傾向は、「バハマ」以降も、ずっと続いているように思います。
 
     

●だいだいラプソディー その3
     
 
だいだい色と、緑色

チューインガムに関して30年前の学生時代を思い出すとき、いつも電気コタツに入ってヘッドフォンをあてている私が浮かびます。コタツの上の台には、かご盛りのミカンが乗っています。どうして、その場面だけが浮かんでくるのかよくわかりませんが、繰り返し思い出すのです。

私のアパートは壁が薄く、いつも隣人に気を使っていました。そのため、窓際にある背後のポータブルステレオにヘッドホンをつなぎ、聴いていました。隣人が留守のときだけスピーカーから音を出していました。

チューインガムの曲を聴くとき、いつも温かい気持ちになったことを覚えています。大学やアルバイトで辛いことがあっても、曲を聴くと明日への希望が沸いてきました。そして聴いているうちに、何故か、だいだい色と、緑色の世界が広がってきました。

私の心の中では、この暖色系の色は、チューインガム・カラーなのです。
また、緑は私のラッキーカラーでもあります。

ファースト・アルバムとセカンド・アルバムのジャケット写真には、草木の緑があふれています。そして、タイトル文字には、だいだい色があります。曲を聴きながら、ジャケット写真を眺めていたのでしょう。そのイメージが、頭にこびりついてしまったのかも知れません。

自然の中での「だいだい色」を考えるとき、いつも浮かぶのは、「ノウゼンカツラ」です。ピアノ教室に通っているとき、夏、そのお宅の庭に咲いているのに気がつきました。先生に聞いたのですが、何の木かわからないとのこと。私の母に聞いて、ようやくわかりました。草花で、だいだい色の花弁は良く見ますが、木にたわわに咲いているのは、この花だけではないでしょうか?

「チューインガムの歌声・ミカンなど柑橘系・青春そのもの」、それぞれの甘酸っぱさが、交差しあって私の脳裏に、だいだい色と緑色が浮かぶのではないかと思います。

 
     

●だいだいラプソディー その4
     
 
私は、おととしの11月から、昨年の1月にかけて夕方よく散歩をしていました。夕方の景色は太陽の動きとともに刻々と変化し、自然の醍醐味というものを感じました。太陽が沈み始めてから、完全に没し、空が暗くなるまで驚くほどの変化がありました。
夕方ほど、自然の色がドラマティックに変化する時間は無いと感じました。

それまで、落日といものは赤い色をしていて、晴れていれば必ず夕焼けとなるという既成概念がありました。
しかし、太陽の手前に雲がないときは、夕陽といえども、朝日の如く金色にギラギラと輝いていました。薄くモヤがかかっていたり、雲があったりすると、夕陽は赤い色となります。そして、モヤや雲がないと、夕焼けにならないことがわかりました。また、夕焼けは西の空だけではなく、雲さえ出ていれば360度、全方向に出ていました。東西南北そして真上です。

それまで頭の中だけで考えている自分でしたが、何でも自分の、この眼でじっと観察しなくてはいけない、と感じました。そして今まで生きてきて、知らず知らずに積み重なった既成概念を、打破していかなければ、と思いました。

冬の信州は空気が澄み切っているせいか、夕焼けは、だいだい色というより、ピンク色に近い場合が多いと感じました。
夕陽が山の端にかかると、それに照らされた南アルプスは、10~15分という短時間だけ、ピンク色に輝きます。
夕陽と南アルプスとの微妙な位置関係が織り成す、ほんの一瞬の輝きです。

私は、おととしの11月から、昨年の1月にかけて夕方よく散歩をしていました。夕方の景色は太陽の動きとともに刻々と変化し、自然の醍醐味というものを感じました。太陽が沈み始めてから、完全に没し、空が暗くなるまで驚くほどの変化がありました。
夕方ほど、自然の色がドラマティックに変化する時間は無いと感じました。

それまで、落日といものは赤い色をしていて、晴れていれば必ず夕焼けとなるという既成概念がありました。
しかし、太陽の手前に雲がないときは、夕陽といえども、朝日の如く金色にギラギラと輝いていました。薄くモヤがかかっていたり、雲があったりすると、夕陽は赤い色となります。そして、モヤや雲がないと、夕焼けにならないことがわかりました。また、夕焼けは西の空だけではなく、雲さえ出ていれば360度、全方向に出ていました。東西南北そして真上です。

それまで頭の中だけで考えている自分でしたが、何でも自分の、この眼でじっと観察しなくてはいけない、と感じました。そして今まで生きてきて、知らず知らずに積み重なった既成概念を、打破していかなければ、と思いました。

冬の信州は空気が澄み切っているせいか、夕焼けは、だいだい色というより、ピンク色に近い場合が多いと感じました。
夕陽が山の端にかかると、それに照らされた南アルプスは、10~15分という短時間だけ、ピンク色に輝きます。
夕陽と南アルプスとの微妙な位置関係が織り成す、ほんの一瞬の輝きです。

 
     

●だいだいラプソディー その5
     
 
だいだい色の私

この歌によると、「男性の瞳に、だいだい色の女性の姿」が映っています。

そこで一体、どんな状況下で、人物がだいだい色に染まるかを考えてみました。私は冬の2ヶ月間、毎日のように夕方、散歩をして夕暮れの光景を眺めていました。ところが、なかなか夕焼けの風景には巡り会えませんでした。黒雲が出ているときや、雨降りの天気では、もちろん夕焼けは見えません。また、雲一つない快晴でも同じく見えません。水分を含まない、白い雲が浮かんでいるときに、夕陽が当たって夕焼けとなるのです。

↓の真夏に偶然撮影した、2つの写真を見ると、かなりの高空に白い雲が、全天を埋め尽くすようにびっしりと浮かんでいます。このとき、空は真っ赤、周りの建物も真っ赤に染まっていました。目に見える物全てが、火災で真っ赤に燃えているような、恐怖感を感じるほどでした。

こんな恐ろしいほどの夕焼けは、めったに見られません。過去の私の記憶では、昭和52年に見ただけです。

冬の2ヶ月間、夕方の散歩で見た夕焼けは、山の上に見える無数の白雲に夕陽が当たって、茜色になっているものでした。しかし、その程度の夕焼けでは、地上の物体が、だいだい色に染まることはありませんでした。私の白い車や、建物の白壁を、じっと観察していましたが、物体が赤く染まるのを確認できませんでした。人間の目はアバウトにできていて、多少の色の変化には順応してしまうからだと思います。2ヶ月間で、地上の物体が、だいだい色に染まるのを見ることができませんでした。

全天を覆うような密集した白雲が出るときに、地上の風景が真っ赤に染まっていました。すると、だいだい色に染まるときは、恐らく全天の半分位に白雲が存在するときではないでしょうか?とすると、薄曇に近い状態です。

しかしこの曲では「♪だんだん影が長くなる」とあります。これは直射日光が当たっていることを意味しています。薄曇りでは、影が出にくいからです。

つまり、空が晴れていて、夕陽がギラギラと輝いています。その夕陽の近くの海上に白い雲が浮かんでいて、それに夕陽が当たって茜色になっているのでしょう。でも、その程度の夕焼けでは、地上の物体は、だいだい色になりません。それは、私の経験からいえます。

私の家から見える南アルプスは、冬の夕暮れ、10分位だけピンクに輝きます。冬は木の葉が落ち赤土の山肌が露出するため、その赤土に茜色の夕陽が反射して、ピンク色に輝くのだと思います。春から秋までは、木の葉が生い茂っているため、ピンク色にならないのです。夕方でも、昼間同様に、青い山脈のままです。

夕陽が西の山の端にかかるときは、上空にあるときより一層、輝きを増し朝陽のようにギラギラと金色に光ります。人間の目には、金色に見えます。
しかし、その光が他の赤っぽい物体に当たって反射するとき、相乗効果でより赤く見えるのだと思います。

そういった観点でみると、海岸にいる人が、だいだい色に染まるのは、おそらく日焼けした肌に、沈もうとしている夕陽のギラギラした直射光線が当たり、より赤っぽく輝いて見えている状態ではないかと想像されます。

だいだい色の女性は、日焼けしている。・・・そして肌をかなり露出したビキニを着用しているのではないでしょうか?洋服やセパレーツの水着で、あるていど肌が覆われていたとすると、この程度の夕焼けでは、人物がだいだい色に染まりません。

この曲の季節は、夏だと思われます。・・・夏の夕陽に照らされて、ビキニを着た女性の、小麦色の肌が、だいだい色に輝いているのだ、と私は思います。
 
     

●だいだいラプソディー その6
     
 
ソロの部分

前の記事で、「この曲はユニゾンで統一されている」と書きました。しかし、その後、何度も聴き直したら、ハーモニーが何箇所かあることがわかりました。集中して聴くとわかり辛いのですが、日をおいて何気なく聴いたときに、わかりました。

ところで他の曲では、ハーモニー部分での、りかさんとマミさんの声の違いが、はっきりとわかるのに、この曲でわからなかったのは何故でしょうか?

それはやはり、この曲のころ、お二人の声が非常に似てきたからだと思います。「かたくりの花」のころと比較して聴くとよくわかります。

この曲は、「かたくりの花」「Together」と同じく、1番りかさんソロ、2番マミさんソロです。

1番・りかさんソロ・・・
♪おもわれニキビがあごのとこ 二つ並んでるあなた♪

2番・マミさんソロ・・・
♪子供扱いはしないよと あなた約束したくせに♪

りかさんの「♪あなた」の部分は、ぞくっとするほどの色気を感じます。

さわやかな曲であり、お二人の歌唱力が更に向上したのに、レコードがあまり売れなかったそうです。原因は全くわかりませんが、残念としか言いようがありません。

レコードの発売元・ソニーミュージックが、そうとう力を入れていたようです。しかし、その前のレコード「かたくりの花」を購入していた私が、「だいだいラプソディー」の発売に全く気づきませんでした。

私の仕事が忙し過ぎたせいもあるかも知れませんが、リアルタイムでこの曲を聴けなかったため、私の思い出の中にこの曲が入っていないのが何とも悔しいです。(T_T)
 
     

●サポディラの唄 その1
     
 
季節感

私は、「サポディラの唄」を聴くとき、いつも3月から4月初旬ころの季節が思い浮かびます。つまり「早春の季節」が脳裏に浮かぶのです。

♪何かをいつも待っている 誰かをいつも夢みてる♪

特に、この歌詞からは、未来への希望が湧いてきます。入学・進学・就職・結婚を前にした、ウキウキ・ワクワクした気持ちですね。

他の歌詞、♪輝く海と青い空♪からは、初夏から真夏の季節が思い浮かびます。

しかし、マミさんの甘酸っぱい歌声がわりと強く、どちらかというと低い温度のハーモニーになっていると思います。もし、りかさんの声が強かった場合、高い温度のハーモニーとなり、この歌詞の通りに「夏の歌」に聴こえたと思います。

♪心にしみるマヤのうた♪

この歌詞から、歌の舞台はマヤ地域だとわかります。マヤ地域とは、メキシコ南東部、グアテマラ、ユカタン半島などを指します。この地域には古くから、マヤ文明が存在していました。紀元前400年ころから、16世紀のスペイン人による征服直前まで、長きにわたり繁栄していました。
 
     

●サポディラの唄 その2
     
 
○宇宙とマヤ文明

前回書きましたように、マヤ地域とは、メキシコ南東部、グアテマラ、ユカタン半島などを指します。

ところで、メキシコの首都はメキシコシティーですが、ここではよくUFOが出現しています。

今まで全世界で撮影されたUFO映像の中で、最も鮮明に映っているのが、メキシコシティーに現れたUFOでした。詳細は以下の通りです。↓

1997年9月に、メキシコのテレビ局「テレビッサ」の番組司会者宛に、匿名で送られたビデオテープの内容は驚くべきものでした。

そのビデオ映像には、白昼堂々とビル群の中を進むUFOの姿が、40秒近く収められてあったのです。そのUFOの直径は推定約10メートルで、UFOの細部も画面から確認できるということです。

私も、その映像の一部を見ました。巨大なUFOが、フラフラと揺れながらビルの頂上付近を移動していました。外側のリングが回転している様子も、はっきりわかりました。
 
     

●サポディラの唄 その3
     
 
私が「サポディラの唄」を初めて聴いたのは、「ヒット全曲集」のLPを購入したときでした。資料室ディスコグラフィーによると、1975年11月1日の発売ですから。昭和50年です。大学を卒業して社会人になった年でした。

シングル「サポディラの唄」は、1973年9月1日発売ですが、購入していません。歌ができてから2年後に聴いたことになります。

「ヒット全曲集」の曲の多くは、ファーストアルバム・セカンドアルバムで既に聴いていました。しかし「サポディラの唄」は、ラジオでも聴いたことがなく、とても新鮮な感動を覚えました。

○控えめな声量

「サポディラの唄」を聴くと、チューインガムの他の曲に比べて、お二人の声量が控えめだと感じます。何故なのでしょうか?私はずっと不思議に思っていました。

トランペットを中心にした華やかな伴奏からは、南国特有のラテンのムードが感じられます。また、歌詞「♪輝く海と青い空」からは、「夏」を連想します。

これらのことから、目一杯の声量で明るく活発に歌っても良いはずなのですが、小さ目の声なのです。また、私の個人的な感想を述べさせていただきますと、この歌からは、夏ではなく早春を感じます。

歌詞を詳細に見てみると、「♪オーラ、オーラ、オーラ♪」と歌っているのは、「黒い瞳のあの人」とわかります。

「黒い瞳」という言葉から、歌っているのは、マヤ族の人でアジア系人種だとわかります。氷河期に、ユーラシア大陸と北アメリカ大陸の間にあるアラスカ海峡は凍っていました。その氷の海峡を渡って、アジア系人種が北アメリカに渡来しました。彼らは、中米を通り、南アメリカを南下しました。

そして、彼らは、マヤ文明・アステカ文明・インカ文明などの高度な文明を作り上げました。

ところで、歌詞を見ると、♪黒い瞳のあの人は、
1番.♪ことりにささやいて
2番.♪ことりに呼びかけて
3番.♪ことりにうちあけて

「♪オーラ、オーラ、オーラ♪」と歌っているわけです。

ですから、お二人の声は、とても控えめになっていると思われます。目一杯の声量で、ラテンの明るさで歌ったのでは、この歌詞にそぐわなくなってしまうのです。
 
     

●サポディラの唄 その4
     
 
○サポディラとチューインガム/マヤ文明

チューインガムというと、プロ野球の試合中、外国選手がクチャクチャかんでいたことを思い出します。なかには、風船ガムをプーッと、ふくらませている選手もいました。(^○^)

しかし最近、大リーグ実況中継を見ていると、チューインガムをかんでいるような選手は見当たりません。真剣勝負では、ガムをかんでいる余裕はないのでしょう。

ところで、「食べ物の」チューインガムの起源はというと、中部アメリカのマヤ族が、サボディラの樹液を噛んでいたことから始まります。
つまりサポディラの樹は、チューインガムの母なのです。

ところで「マヤ」という言葉は、とても女性的な柔らかい響きをもっていると思います。

そういえば、西暦紀元前500年ころに誕生した、お釈迦様のお母さんは、マヤという名前でした。マヤ文明は、仏教とは無関係だったようです。しかし、神秘的な意味で、マヤ文明と仏教との不思議な因縁があるように思います。

マヤ文明は、天体観測に優れ、とても精密な暦を持っていました。彼らが使っていたマヤ暦は1年を365.242128日と定めており、世界最高の水準です。また、数学を発達させ零の概念を発明したことは、インド文明との共通点があります。

熱帯雨林地帯で焼畑農業を営んでいたマヤ族が、どうして天体に興味をもったのか、とても不思議です。エジプト文明では、ナイル川沿いで農業を営んでいたため、川の氾濫と天体の運行・気象の関係が重要視されていたと思います。しかしマヤ地方の場合、熱帯地方で大きな川がなく、実生活に不必要な知識を学んでいたように思えて、しかたありません。

アメリカ大陸の三大文明というと、マヤ文明・アステカ文明・インカ文明です。この文明の中で最も古くから栄えていたのは、マヤ文明です。紀元前400年ころから、16世紀のスペイン人による征服直前まで、長きにわたり繁栄していました。マヤ地域とは、メキシコ南東部、グアテマラ、ユカタン半島などを指します。

ユカタン半島で思い浮かぶのは、恐竜を絶滅させた隕石です。6500万年前、直径10kmの隕石がユカタン半島に衝突しています。

マヤ人の暦は、紀元前3114年に始まり、2012年の12月23日で終わっています。2007年の今年から2012年まで、あと5年しかありません。地球温暖化などにより、人類が滅亡するのを予言しているのでしょうか?

私は、それほど悲観的ではありませんが、地球生命体(ガイヤ)のもつ恒常性(ホメオスタシス)が、徐々に崩れ始めている可能性があると思います。

チューインガムと関係ない事を書きましたが、「サポディラの唄」の舞台であるマヤ文明は、語り尽くせないロマンを秘めていると思います。
 
     

●バハマ その1
     
 
資料室によると、「バハマ」の発売は、1980年5月21日です。作詩作曲/松田りか・松田マミということですので、詩と曲を、お二人で協力して作ったとわかります。

りかさんの、ゴールデンベストでの記述によると、以下のようです。・・・アメリカ留学時代に、マミさんがバハマ諸島に旅行したことをきっかけに作ったそうです。ということは、りかさんは行っていないことがわかります。

資料室掲示板での、千春兄貴さん(現・チー坊さん)のカキコを、おぼろげながら覚えています。「バハマ」の誕生秘話について、カキコされていました。ただ、資料室掲示板・過去ログは膨大過ぎて、証拠となる記述が発見できませんでした。
しかし概要は、おおよそ、以下のようなことでした。↓

お二人がアメリカから帰国された後の、ある日、りかさん・マミさん・千春兄貴さんの三人で、喫茶店に入ってお茶を飲みながら、おしゃべりをしていました。

すると突然、りかさんが、空想の世界に入ってしまいました。その瞑想状態の間に、「バハマ」の基本構想が誕生したというお話だったと記憶しています。

○「♪サポディラの唄」と「♪バハマ」の関連性=古代文明と超古代文明

「サポディラの唄」の次に「バハマ」を書かせていただいたのには、理由があります。

「サポディラの唄」には、「マヤのうた」が出てきます。すなわちマヤ文明という古代文明に関連があります。

一方、「バハマ」で歌われているバハマ諸島といえば、アトランティス大陸で最後に海底に没した場所の近く、ということです。しかし、↓の地図を見ると、バハマ諸島は、アトランティス大陸の一部だったようにも考えられます。つまり、超古代文明と関連があります。

さて、7万年よりずっと前、という超古代において、太平洋にはムー大陸、大西洋にはアトランティス大陸があったという著作があります。作者はジェームズ・チャーチワード(James Churchward、1852年 - 1936年)。アメリカ合衆国在住のイギリス人でムー大陸についての「失われたムー大陸」(1931年)を初めとする一連の著作を書いた作家です。
この本によると、七万年前ごろより「母なる国」ムーの人口が増えてゆくにしたがい、東へ西へと全世界へ植民活動をはじめます。この植民達はマヤと呼ばれました。

このなかで、東方へ向かった植民団の大帝国として、造山活動で崩壊してしまった古代マヤ帝国(アンデス)や、ムー帝国とともに大洋に沈んでしまったアトランティス帝国があります。

アトランティス大陸で、最後に海底に没した場所はバハマ諸島の近くで、その名残が北大西洋のフロリダ沖にあるビミニ諸島だということです。海底舗道や幾何学模様が連なる遺跡などが発見されています。↓
 
     

●バハマ その2
     
 
チューインガム1が発売されたのは、2002年6月19日です。それまでは、バハマ以降の曲を聴いたことがありません。

「バハマ」を聴いたときは、正直言って驚きました。前期チューインガムと、あまりにも、かけ離れた曲だったからです。

チューインガム1の発売前、最後に聴いた曲は、「かたくりの花」でしたから、27年間は新曲を聴いていなかったのです。

私が最初に耳にした曲は、「風と落葉と旅びと」です。1972年6月21日のシングル発売直後に、ラジオで聴きました。

本格的なファンになったのは、ファーストアルバムを購入した後です。1972年10月21日の発売ですので、ファン暦は足掛け35年になります。

35年前にチューインガムを聴き始め、8年間は、リアルタイムで聴いていたわけです。その後27年間というもの、前期チューインガムだけを繰り返し聴いていたものですから、なかなか「バハマ」以降の曲は、心に入り込んできませんでした。

「バハマ」の最大の謎は、りかさんの、歌唱法の変化にあります。

その変化について、チューインガム1の発売以来、5年間、考え続けてきました。お二人の資料室での発言について、何を指しているのかを研究しました。そして「かたくりの花」・「だいだいラプソディー」・「バハマ」の3曲を何度も何度も、連続して聴き、最近になってようやく謎が解けてきた感じがします。その謎とは?・・・。

 
     

●バハマ その3
     
 
○甘い声の封印

ここのところ雨が続いていますが、今日もまた雨でした。昨日のような蒸し暑さがなく、涼しいのが助かります。というか寒いくらいで、電気コタツに足を入れていました。外に出るのも、おっくうなので、テレビを見るか、チューインガムCDを聴くか、のどちらかという状態でした。

5月末で、ブログを書き始めて一年経過しました。ここ一年というもの、チューインガムCD以外の歌手のCDは、全く聴いていません。チューインガム症候群とでも、言えるのでしょうか?しかし、チューインガムが心の中に住み着いてしまっているので、どうしようもないのです。

さて、「バハマ」での、りかさんの歌い方ですが、本来の甘い声を封印していると思います。りかさんは資料室掲示板で、「自分の甘い声が嫌いだった。」とおっしゃっています。また、「かたくりの花」の録音前、ガム父さんから初めて「大人の歌い方を教わった。」と述べておられます。大人の歌い方とは、発音をよりはっきりと、そしてお腹から声を出すことだと思うのです。そして、りかさんは、「ハスキーな声にあこがれていた。」ともおっしゃっていました。

これらを総合して考えると、「バハマ」では甘い声を封印し、大人の歌い方でハスキーな声を意識して発声しておられると思います。

甘い声から、大人の歌い方に大変身した歌手と言えば、・・・そう、山本リンダですね。
彼女は「こまっちゃうナ」でデビューしましたが、1975年、21歳のとき「どうにもとまらない」で、あっと驚くイメージチェンジをしました。

彼女が、ひょっとして、チューインガムの歌声に影響を与えているのかも知れないと思い、
チューインガム1975年の発売レコードを調べてみました。↓

8月1日 ひとりぼっちの夏
11月1日 ヒット全曲集
12月21日 かたくりの花

りかさんが、山本リンダの声と、ご自分の声の共通点を意識していた可能性があると思います。山本リンダの甘い声が、お嫌いだったのでは、ないでしょうか?そして「どうにもとまらない」を聴かれて、その変身ぶりに驚き、あのような大人のパワフルな歌い方に、あこがれたのではないでしょうか?

甘い声は封印しただけで、「かたくりの花」当時の声を、現役時代ずっと維持していたと思っています。「Together」を聴いて、甘い声がそのまま残っていることを確認しました。りかさんは、大人になって、高・低両側に、音域が伸びたと思います。

もちろん大人になったことで、しっとりした落ち着きのある声になったのでしょう。
 
     

●バハマ その4
     
 
○魅力的な話し声

チューインガム資料室のスクラップブックを久しぶりに見てみました。ここの、「1979年3月2日・NHKラジオ公開放送」を再度、聴きました。

http://www5a.biglobe.ne.jp/~ancoro/gumroom/05scrap.htm

1.自己紹介と近況 (1分20秒 316kB)
2.歌を作り始めた頃・留学でのこと (2分54秒 681kB)
3.曲作りのアドバイス・食べ物の話 (2分15秒 529kB)

この録音は、「バハマ」発表の1年前です。私は、チューインガムの留学年数は、4年間とばかり思っていました。しかし、この録音を聞くと、留学は1年間だけだったとわかりました。たった1年間の留学で、よくあれだけの語学力を身につけたものだと、感心します。

ホームステイした場所は、りかさんは都会、マミさんは農場でした。マミさんは、田舎にいたと記憶していましたが、農場だったとは意外でした。でも、動物好きなマミさんらしいと思います。

お二人の話し声は、すでに子供のキャピキャピした声ではなく、大人のしっとりした落ち着いた声になっています。りかさんの話し声は、高低の変化に富んでいて、歌っているかのようです。マミさんの話し声は、りかさんに、よく似ていますが、やや低く落ち着いています。

お二人とも、とても魅力的な話し声だと思います。

「バハマ」では、お二人とも強い発声になっています。りかさんの好みで、こうした歌い方になったと思います。マミさんが『姉は、「忘れていたニックネーム」での、♪繰り返してる♪という個所のような、シャウトする歌い方が好きだった。』と言っています。

しかし、こうした強い発声法は、魅力的な話し声を生かすことができない、という点では成功だったとは言えないかも知れません。しかし、新たな分野に挑むというチャレンジ精神は、高く評価できると思います。

強い発声法にチャレンジし続けたのが、「バハマ」以降、「よりそって めらんこりい」までの歌い方だったと思います。

チューインガムファンは、「バハマ」以降の曲を、あまり好んでいません。しかし、お二人が理想とした音楽は、これらの曲だと思います。苦労を重ね、一曲一曲、工夫していった足跡を理解していく必要があると思います。

しかし、「バハマ」以降も、並行して、フォークソングや前期チューインガムの歌を歌っていた可能性が高いと考えています。それでないと、「よりそって めらんこりい」の次の曲「Together」で、前期チューインガムの歌声に、あっという間に戻った理由がつかめないからです。

「バハマ」以降、「よりそって めらんこりい」までと「Together」の歌い方は、全く違っているのです。
 
     

●バハマ その5
     
 
前期チューインガム時代、お二人は、ずっと「天真爛漫な気持ち」で歌っていたそうです。
そしてそのことが、チューインガムファンの心を捉えたと思います。素直で純粋な気持ちが伝わって来ました。

「天真爛漫な気持ち」で歌えた背景には、年齢的なこともありますが、当時アマチュアグループだった、ということもあると思います。

ところで私は、38歳から8年間、ピアノ教室に通っていました。今になって、担当の先生が言っていた事が思い出されます。・・・「音楽は、アマチュアでやるほうが良いんですよ。」と、何気なく言っていました。そのとき、プロはプロで、いろいろと悩みが多いのだな、と感じました。

「バハマ」を歌ったとき、グループ名を、チューインガムからバルバルーンに名前を変えました。
変名の理由は不明ですが、アマチュアからプロへと転向した決意が秘められているのではないでしょうか?

ところで「バハマ」のメロディーは、今聴いても新鮮さに満ちています。
りかさんの作曲した曲を思い出してみます。・・・「風と落葉と旅びと」・「岡田さんの手紙」・「海のみえる放送局」・「逃げた小鳥」・「リルケの詩集」・「トヨナカシティー」・「チャップリンに愛をこめて」・「ひとりぼっちの夏」・「青い島」。

名曲ぞろいですが、どれも、なめらかに音程が上下する親しみやすいメロディーです。ところが「バハマ」は、それまでとは全く雰囲気が違っています。
別人が作曲したかのようにも感じますが、それだけ前期チューインガムから飛躍したい、という決意が込められているように思います。

また、この曲は当時のトロピカルブームを背景として創られたそうです。

トロピカルブームとは、ライムライト・キャンキャンの、しゅんさん、によると、サザンオールスターズや郷ひろみの「モンローウォーク」に代表されるそうです。

たかまささんによると、バリー・マニロウの「コパカバーナ」サンタナのラテンロックに表されるとのことでした。

 
     

●リルケの詩集 その1
     
 
秋に聴くチューインガムの歌として、「風と落葉と旅びと」の次にくるのが、この「リルケの詩集」でしょうね。

私が持っているチューインガムの3枚のシングルのうち、1枚が「リルケの詩集」です。おそらくラジオで聴いてから購入したと思います。最も心に響いた一曲だったと思います。

この曲の発売は、1974年2月ですが、このころ私は22歳で、卒業研究発表を控えて実験の追い込みをしていました。終電近くまで、実験室にこもって実験をしたり、もう一人の共同実験者と研究のまとめをしていました。

そんな多忙極まりないときに、レコードを買う暇が、よくあったと今更ながら驚いています。

そのころは今と違って暖冬ではなく、厳しい寒さの中、冷たいコンクリートの実験室の床の上で、寝袋に入って眠ったこともあります。そんな日が続くと、精神的にも参ってしまいました。大学のクラブの仲間の家が、校舎の西側に、道路をはさんであり、無理を言って一泊させてもらったことがありました。

彼の家にたどりつくと、残念ながら彼自身は不在でした。彼には、かなり前から、もしものときは泊めて欲しいと言ってありました。お母さんが玄関に出てくれたので、その旨を話しました。お母さんは私とは初対面なのに、私を信用してくれました。

二階に布団を敷いて寝かせてくれました。涙が出るほどうれしかった、と言いたいところですが、倒れる寸前くらいに疲労こんぱいしていたので、ほっとして布団の温かさを感じながら、すぐ眠ってしまいました。

誰とも知らない人間を泊めてくれたことに、今でも感謝しています。

今考えると、実験で、そんなにも自分の体を痛めつける必要もなかったように思いますが、徹夜の実験を自慢しあうような風潮と伝統が続いていて、それに巻き込まれざるを得なかったということでしょうか。
 
     

●リルケの詩集 その2
     
 
前回の記事で、このように書きました。・・・「この曲の発売は、1974年2月ですが、このころ私は22歳で、卒業研究発表を控えて実験の追い込みをしていました。」

しかし、そんな忙しいときに、本当にレコードを買う暇があったのかなと、もう一度降り返ってみました。すると、やはり卒業の1年前だったことがわかりました。訂正してお詫び致します。m(__)m

卒業した年には、「ひとりぼっちの夏」「ヒット全曲集」「かたくりの花」と3枚、連続して購入していますので、間違いだったことが、はっきりわかりました。

ところで「リルケの詩集」に関しては、資料室掲示板で、りかさんと直接お話したことがあります。りかさんは、リルケがバラの刺に刺さったことが原因で亡くなった、と言っていました。それを聞いて、リルケは、すごく繊細な詩人だったのかな、と感じました。

そんなことがあり、リルケの詩集を図書館から借りてきて、実際に読んでみましたが、面白みや感動を感じませんでした。それで、掲示板には「日本語訳ではなく、ドイツ語の詩集を見れば、感動するのでは?」と書いた記憶があります。

リルケという名前から美男子を連想していたのですが、写真で見るリルケは、ヒゲを生やした頑固な人という印象でした。(^^ゞ
バラの刺に刺されたくらいでは、何ともないような頑丈そうな人に見えます。しかし1926年、バラの棘で指を傷つけたことにより、白血病となり51歳で死去したそうです。

リルケの短い詩↓

ばらよ、きよらかな矛盾、
あまたの瞼の下で、だれの眠りでもないという
よろこびよ。 

意味がよくわかりません。(T_T) また、私の感性とは合わないような気がします。・・・が、ドイツ語原文で読むと、ぐっと感情が込み上げてくるのかもわかりません。いちおう大学でドイツ語を学びました。今は、ほとんど忘れていますが(^○^)。
 
     

●リルケの詩集 その3
     
 
「リルケの詩集」は、1974年2月21日に発売されました。イメージとしては、秋の曲という感じですが、発売されたのは、冬の終わりでした。秋に発売されていたら、もっとインパクトがあったことと思いますが、チューインガムは学業優先だったので、発売が時期外れだったことは、致し方ないことだったでしょう。

作詩は、藤吉正孝氏。作曲は、りかさんです。資料室掲示板で、りかさんは、リルケの詩集を実際に読んだ、とおっしゃっていましたので、私の記憶の中では、りかさんの作詞とばかり思っていましたが、実際は違いました。

そういえば、詩全体をみると、子供らしい感性の詩というより、大人っぽい詩であることがわかります。
しかしメロディーは、りかさん作曲なので、親しみやすさと歯切れの良さ、滑らかに下降・上昇する浮揚感に満ちています。

総合的にみて、「リルケの詩集」は、チューインガム全曲の中でも、ベスト3に入ると思いますし、日本のスタンダードナンバーに列挙されるべき名曲だと考えます。

歌唱面で気が付くことは、りかさんの声が、とても大人っぽいことです。 
「トヨナカ・シティー」が、1974年8月1日の発売ですから、「リルケの詩集」は6ヶ月も前に発売されています。それにもかかわらず、「トヨナカ・シティー」は子供らしい声で、「リルケの詩集」は大人っぽい声。発売日と歌声年齢が、逆転しているように聴こえるのです。

何度も聴いてわかったことは、、「リルケの詩集」 では、一箇所の歌声で大人っぽくなっていることです。

♪リルケの ししゅう~は

↑ここの一旦下がって再び上がる音程の個所の、低音で深みのある声により、成人女性が歌っているかのような、錯覚を覚えるのだと思います。
 
     

●ひとりぼっちの夏 その1
     
 
「ひとりぼっちの夏」は、1975年8月1日に発売されました。1975年は昭和50年ですから、私が社会人になった年です。私は当時、このシングルレコードを購入しました。初めて聴いた印象としては、「けだるい感じ」がしたことを覚えています。

この曲を聴くと、私の子供時代、夏休み後半のことを思い出しました。宿題が残っているのにもうすぐ休みは終わる。暑さでバテているのに、何とか宿題をしなくてはならない、という焦りがありました。夏休みが始まってすぐは希望に満ちていたのに、後半は空しさが、暑さとともに襲ってきました。
 
     

●ひとりぼっちの夏 その2
     
 
「ひとりぼっちの夏」を聴いて、けだるい感じがするのは、2つの要因のためだと思います。まずイントロに、ちょっと入る、ピアノ演奏。トゥルルル・トゥルル・トゥントゥンという音です。そして最後の歌詞「ひとりぼっちの夏はむなしい」ですね。これらが原因となって、脱力感をともなう疲れのような、けだるさを感じたのでしょう。

逆に言うと、この2つの要因がなければ、さわやかな夏の光景が脳裏に広がっていったと思われます。

私はこのシングルレコードを購入しながら、その年は、あまり聴かなかったように記憶しています。年末発売された「かたくりの花」に夢中になっていきました。

しかし今聴いてみると、この曲は実に奥の深い歌だと感じます。りかさんが高校生になって初めて吹き込んだ歌ということもあり、歌い方にそれまでとは全く違う要素が入ってくるのです。
 
     

●ひとりぼっちの夏 その3
     
 
振幅の大きいビブラートと同調性

「ひとりぼっちの夏」は、りかさんが、高校生になって初めて吹き込んだ歌です。りかさんも声量が豊かになり、ビブラートの振幅が、それまでと違って格段に大きくなっています。これによって、歌に豊かさと心地良さが出ていると思います。

また、マミさんも、りかさんのビブラートに、振幅をピッタリ合わせています。
そのため、お二人のビブラートの波がピッタリ重なり、共鳴し合って、お互いに響いています。
これは、聴けば聴くほど、驚異的だと思います。
こんな素晴らしいデュオは、今までに記憶がありません。

このビブラートの波は、最初から最後まで全く同じ曲線を描いています。まるで器械が作っているかのようです。美空ひばりのビブラートも、振幅曲線が全く同じでした。美空ひばりが、「天才」と言われる所以は、このビブラートによるところが大きいのです。

「ひとりぼっちの夏」は、1975年8月1日の発売ですが、その前のレコード「チャップリンに愛をこめて」1974年12月21日発売、を聴いてみると、ビブラートの差が、よくわかります。
 
     

●校庭にて
     
 
チューインガム・ファンのお一人から、カバー曲について書いて欲しい、という要請がありましたので、書かせていただきます。

「かたくりの花」のシングルレコードが出るまで、私は、それまでに出た全曲の中で「北に消えゆく二人」が一番好きでした。ステレオが、南向きの部屋の窓際にあったので、南アルプスを見ながら、聴いたことをよく覚えています。昭和50年のことでした。

今現在、カバー曲の全曲を聴いてみて、最も気に入っている曲は、「校庭にて」です。りかさんの高音は、「北に消えゆく二人」よりも、さえわたっているように思います。軽く歌っているせいか無駄な力が抜け、高音が伸びています。

歌詞の内容は、何気ない放課後の風景です。ありふれた光景ですが、フォークソングは、こうした日常の事を歌った方が、心に響く場合があります。
出だしのイントロは少し重々しい感じなので、私は「動物たちの世界」とよく間違えます。曲全体は、とても爽やかで軽快な感じなので、このイントロは不必要だったのでは、と思うことがあります。その後のギターのイントロは、曲にピッタリのイメージです。

作詞はマミさんですが、小学生らしく微笑ましい歌詞だと思います。「岡田さんの手紙」と共通した懐かしい雰囲気に満ちています。しかし、「岡田さんの手紙」にみられるセンチメンタルな所は全く無く、明るい爽やかさに、あふれています。普通の人は、学校生活や行事のことを書きたがるものです。マミさんが、放課後の校庭の事を書かれたというのは、やはり非凡な才能があったのでしょう。

1番の歌詞に、ちょうど歌舞伎の「見得を切る」ような歌い方の個所があります。それは、りかさんが歌う「うなずいて手を振り サヨナラを言ったら」の中の「うなずいて」の部分です。

「校庭にて」は、素朴な歌ですが、この部分だけ、かなりオーバーアクションのような感じがします。強調と変化という利点も確かにあります。しかし私は、この部分をサラッと歌っていただいた方が、良かったのでは、と思うことがあります。あくまでも私だけの感性による話ですが・・・。

話は変わりますが、人は皆、社会人になると、卒業した幼稚園・小・中・高・大学校の校舎や校庭を見ることもなくなります。しかし私は、ときどき通りすがりに、近くの中学校をふと見ると、あのころの自分の気持ちが蘇ることがあります。

あのころの素直で純粋な気持ちを、いつまでも大切にしていきたいと思います。その素直で純粋な気持ちが、チューインガムの歌を愛する気持ちにつながります。そして、チューインガムの歌を愛せるうちは、青春なんだと思っています。
「校庭」は、聴けば聴くほど、チューインガムとして理想的な曲だとわかってきます。
作詞については前に書きましたが、とても素朴で素直な感情を表現していると思います。

作曲は、りかさんです。りかさんらしい、滑らかに上下するメロディーとなっています。そのため、聞き手からすると、「子守唄」を聴いているような、柔らかな気持ちになります。りかさんは、この曲のように、ある程度ゆったりしたテンポで、滑らかに上下する曲を歌うのが好きなのだと思います。そして、その場合、りかさんの歌唱力が、最大限に生きてくるのです。

この曲では、りかさんは、チューインガム全曲中でも、最高に高い音を歌っています。次の曲「北に消え行く二人」と比べると、それがわかります。

「♪きっと心配しているよと」この、「と」の所で急激に音が上がりますが、この高音を難なくこなし、さらに最高音へと向かいます。「♪うなづいて手を振り」の「う」が、この曲で最も高い音です。

まさに、りかさんの高音は、限界が無いようにみえます。マミさんが「姉の声はソプラノ」とおっしゃっている理由がわかります。
 
     

北に消えゆく二人
     
 
「北に消えゆく二人」は、「かたくりの花」が発売された昭和50年までは、一番好きな曲でした。

私の実家は長野県南部で、よく夜行列車を利用して、東京まで往復していました。運賃を安くするため、普通列車のみを利用して、片道1500円におさめていました。新宿から長野県南部まで約6時間。チューインガムを聴きながら、夜汽車に揺られていました。

この曲では、花火の場面が出てきますが。夜汽車の真っ暗な窓を見ていると、祭をしている町に花火が上がる情景が、現実のように、ありありと浮かんできました。

「♪指をさしたら もう消えている」の歌詞は、あまりに切なく、幼い恋で駆け落ちしていく二人を象徴する言葉だと思いました。

りかさんの声は、大人びてとてもセクシーで、一流歌手のようです。マミさんの高音は、甘酸っぱく切なく、幼い恋を象徴していると思います。
 
     

●赤い風船
     
 
チューインガムのカバー曲の中でも、私は「赤い風船」が好きです。チューインガムの歌い方が、浅田美代子を真似して、ソフトで優しい歌い方になっているからでしょう。

チューインガムは、本来、強い歌い方をしていると思います。これはガム父さんが、次第に宝塚風の、強い発声を教えたからです。しかし、デビュー曲「風と落葉と旅びと」も、可愛らしい反面、よく聞くと、たくましさがあふれる力強い歌い方なのです。

浅田美代子のオリジナル「赤い風船」は、ほとんど聴いたことがありません。これは、私のアパートにテレビがなかったことが原因だと思います。帰郷したときだけ「時間ですよ」を見ました。オリジナル「赤い風船」が発売されたのは、昭和48年4月。「赤い風船」が収録された、チューインガムのセカンドアルバムが発売されたのが、昭和48年7月1日。

私は、オリジナルを聴く前に、チューインガムの曲を聴いていたのだと思います。

 
     

●地下鉄に乗って
     
 

「地下鉄に乗って」は、電車に乗っているとき、よく聴きました。電車の振動と、この曲のテンポがよく合っていたからです。この曲は、猫が歌って、チューインガムがカバーしました。

猫がどういうグループだったかは、よくわかりませんが、ラジオで一回だけ、この曲を歌っているのを聴きました。男性のみのグループのようでしたが、歌声はチューインガムに比べて、地味だった印象があります。

チューインガムの歌う「地下鉄に乗って」は、曲の早いリズムによく合い、躍動的で、キラキラ輝いて聞こえます。

この曲を聴くと、学生のころ、東京の赤い電車(中央線)や黄色い電車(総武線)に乗っていた記憶が蘇ります。特に中央線の、御茶ノ水駅付近を思い出すのですが、この駅付近の印刷会社で、アルバイトをしていたからでしょう。

カラオケにこの曲があったので、実際に歌ってみましたが、速いテンポについていけませんでした。早口言葉を話しているようで、歌になりません。この曲をリズミカルで滑らかに歌っている、チューインガムの実力を、再確認できました。
 
     

●風
     
 
「風」は、1969年に、はしだのりひことシューベルツが歌った曲です。このころ私は高校生でしたが、大ヒットしたのをよく覚えています。私もこの曲自体は好きでしたが、はしだのりひこの、くせのある歌い方は嫌いでした。そのため、次第に忘れていきました。

チューインガムは、この曲を素直に歌い上げているので、曲のもつ純粋さ・素朴さが、よく表現されていると思います。私は、チューインガムを聴いて、ようやくこの曲を本当に好きになりました。

バックに入っている「アー・アー・アー・アー」は、マミさんの声だと思います。「赤い風船」のバックに入っている「ラーラ・ラララー」と同じく、胸をキュンとさせる、とてもセンチメンタルな声です。

この曲と「風と落葉と旅びと」の、キーワードとなる歌詞は、よく似ています。

    「風と落葉と旅びと」     「風」       

       風           風
      落葉       プラタナスの枯葉
      旅びと       ただ一人旅に出て

チューインガムは、この曲を聴いて何らかのインスピレーションを得たのかも知れません。
 
     

●ネス湖の怪獣
     
 
「ネス湖の怪獣」を初めて聴いたとき、これはチューインガムの作詞・作曲かと思いました。しかし、パンフレットを見ると、ガム父さんの作詞・作曲とわかり、びっくりしたものです。

お二人がシャウトしていますが、「イェーッ」と大胆に発声するのが、りかさん、「オゥッ」と、謙遜気味に発声するのがマミさんだと思います。

お二人によると、ガム父さんは、スティービー・ワンダーの曲にならって作ったそうです。

彼の曲の中で、私は「スーパースティション」(迷信)しか知りません。

 
     

●Stardust Serenade
     
 
チューインガムの「スターダスト・セレナーデ」を聴いていると、つい眠ってしまいます。細かい所まで聴こうと緊張していても、うとうとと、してしまうんですね。それだけ、ゆったりした癒し系の曲ということでしょう。

スターダスト=星くず、セレナーデ=夜曲ですから、「星の夜曲」といったところでしょうか。

好きな人への想いを、星屑に託して描いた歌です。そういう点では、「この花をあなたに」に似ていると思います。りかさん作詞、マミさん作曲ということで、この組み合わせは、初めてではないでしょうか?。

曲調からして「バハマ」と同じく、トロピカル音楽のように聴こえます。

さてスターダストといえば、日本の探査衛星「はやぶさ」も、カプセルを切り離した後、極彩色のスターダストとなって消えました。あらゆる部分が傷付きながら、全ての任務を全うして、華やかに消えて行きました。
 
     

●ブロークン・ハート
     
 
「ブロークン・ハート」は、1980年11月21日に発売されました。 
当時、私は28歳。そのころ仕事は絶好調で、縁談もいくつもありました。先方の遺伝の問題で、破談になったのが悲しく、ずいぶん後を引きました。

このころ、りかさんは、21歳でしょうか。りかさんは、ハードなイメージの、ポップロック調で作曲されたようですが、この年のヒットソングを見ると、ロック調の曲は、私の見る限り、ありませんでした。

ヒットを狙ったというより、りかさんの好みがロック調になっていた、ということではないのでしょうか?。しかし、アメリカンナイズされたこの曲は、日本の作曲家には真似のできない斬新な物で、今聴いても、30年の歳月を感じさせません。

1980年の大ヒットソングの一例↓

○パープルタウン   八神純子
○青い珊瑚礁     松田聖子
○不思議なピーチパイ 竹内まりや

りかさん高音、マミさん低音のハーモニーで、前期チューインガムのように、りかさんが大きめの声、マミさんが小さめの声です。しかしバックバンドの音が大き過ぎて、微妙なハーモニーが聴き取れないのが残念です。ただ、演奏の最初のエレキの次に、ベースがすぐドンと入る点は、迫力があります。

りかさんの声は、低音から高音まで、非常になめらかに柔らかく、ゆるやかな上昇と下降を繰り返す特徴があります。しかしこの曲では、ロックを歌っているせいなのか、歌声に固さがあるような気がします。

ハーモニーに若干の音程の誤差があるようですが、これは、バックバンドの演奏音が大き過ぎて、合わせられなかったのかも知れませんね。
 
     

●NO.NO.NO
     
 
「NO.NO.NO」は、「黄昏ドライブ・マップ」の裏面です。前奏および間奏のところの、お二人の「フーフーフーフー」というハーモニーは、ソウルミュージックの、バックコーラスを連想させます。とても魅力的で、うっとりするほどです。

事実、お二人は、バックコーラスの仕事もされていたようです。

とても軽快なメロディーで、ウキウキしてくるような曲です。お二人も楽しく歌っているようにみえます。

ところが詩を見ると、実は全く逆の内容です。

海での、二人のバカンスを思い出しながら、最後は涙を流します。彼とは完全に別れてしまったのだけれど、楽しかった海での思い出が、頭から離れません。ときどき、寂しくなったら、そのたび、過去の思い出に浸るため、海へ来ては泣くのです。

詩とメロディーが、逆のベクトルを指しています。この曲を聴いて、楽しくなったら良いのか、悲しい気分になったら良いのか、全くわかりません。

詩の内容ですが、よく韻をふんでいます。

♪さよなら言ってふた月
♪渚の恋は嘘つき

♪ふたりの海はメモリー
♪涙でとじたダイアリー

♪あなたの瞳きらめく
♪思い出すたびときめく

♪帰って来ないヴァカンス
♪ガラスのようなロマンス

これだけ韻を踏んでいる部分が多いと、いささか食傷気味になります。

お二人の歌の部分で、シンバルがよく鳴っていますが、聴くのに邪魔で、うるさい感じがします。

作詞作曲とも、お二人の作ではないので、仕方ありませんが・・・。
 
     

●よりそって めらんこりい
     
 
「よりそって めらんこりい」は、1984年10月21日に発売されました。私が31歳のときです。一番の得意先の担当者が、かなり無理難題を押し付けてきて、私はかなり悩んでいたころです。

このとき、りかさんは24歳くらいでしょう。りかさんは、結婚適齢期に入ってきました。

ライナーノーツによると、「アップテンポで、シンセサイザーを巧みに使って編曲されました。」とのことです。作曲は、りかさんですが、作詞はSHOW氏、編曲は船山基紀氏です。前奏を聴くと、ちょうど「サスペンスドラマ」か「宇宙アニメ」に合うような、壮大で迫力のある感じです。

この歌は、金曜日の夜、男女が行きずりにランデブーする、という物憂げな内容ですので、この迫力のある前奏は、少し合わない気がします。

さて、ソロは誰かということで、かなり悩みました。このころ、りかさんと、マミさんの声は、とても似てきたからです。りかさんの声は、色気のある感じで、マミさんの声は、やや中性的な感じ、ということから判断しました。私は、ソロ部分が、マミさんだと思っています。

「忘れていたニックネーム」と同じく、ソロ部分は、だんだん下降していくメロディーですので、歌いにくかったかな?という印象をもちました。下降して、ちょっと上がるときに、不自然な感じを抱きます。

高音部分のハーモニーは、フルパワーで歌っているにもかかわらず、全く乱れがなく、さすがプロだなあと思います。バックコーラスの仕事が順調だったことを、想像させます。
 
     

●あの日のように
     
 
「あの日のように」は、アップテンポで軽快な曲です。
しかし、SHOW氏の書いた詩は、かなり深刻な内容です。

・・・女性は、ある人と結婚を決めました。ところが、昔つき合っていた彼氏が忘れられません。彼に会えば、「そんな結婚なんてやめろよ。俺と結婚しよう。」という言葉を、かけてくれるだろうと期待して、彼氏の町へ出かけます。

しかし彼は、期待とは正反対で「結婚おめでとう」と祝ってくれてしまいました。彼女は失望し、海辺で、彼との昔の思い出にふけるのです。あの夏の思い出・・・。

「バハマ」以降の曲は、「失恋」を題材にした物が多いのですが、この曲の場合、彼との思い出を振り切って、結婚に向かいそうな、明るい予感を感じさせます。

そのため、マミさんも明るいメロディーを作ったのでしょう。

ソロの部分は、少し鼻声ということから、マミさんだと思います。マミさんも、立派なボーカリストになられたと感動しました。(*^_^*)

ハーモニーは少なく、斉唱(ユニゾン)が多いようです。

最後のトゥルトゥル・・・というスキャットは、前期チューインガム「青い島」のトゥットゥットゥッ・・・を思い出します。
 
     

●お寺まいり その1
     
 
「お寺まいり」は、とてもユニークな曲ですね。パーカッションに木魚が入っているのには、驚きました。セカンドアルバムのオリジナル曲は、ファーストアルバムに比べて、どれも洗練されていますが、「お寺まいり」は特殊な曲だと思います。

りかさんのライナーノーツを見ると、初めて単調で書いた、とありますので、「逃げた小鳥」より、早くできた曲なんですね。

りかさんの作詞作曲です。作詞は少女の素直さで、言いたいことを、飾り気なく書いています。後期チューインガムでも、世間を気にせず、好きなように作詞されたら良かったのに、と思うことがあります。

この曲を聴くと、私の菩提寺が脳裏に浮かびます。車で10分ほどの所にありますが、桜の名所でもあります。祖父が、お寺の役員をしていた関係で、たまに連れられて行きました。

小学校3年のころでしたか、祖父と客間に通されて、生まれて初めて「みつ豆」をいただきました。お寺って、何と裕福なんだろうと感じたものです。
 
     

●お寺まいり その2
     
 
「お寺まいり」の歌詞の中に、ネガティブな言葉が多くあります。

1.やりきれません
2.ねていたいのに
3.聞いてるのがつらい
4.鼻につきますから
5.まってるのがつらい
6.とてもいやなのです
7.おしゃべりもできない

これだけ否定的な言葉の多い歌詞は、珍しいのではないでしょうか?普通は、こういう歌を聴いていると、嫌気がさしてくるものですが、逆に穏やかな気持ちになるのは、何故でしょう?

やはり心に思った、そのままを言葉にしているからではないでしょうか?それで共感できるのだと思います。

似た曲として、フォーク・クルセダーズの「悲しくてやりきれない」がありますね。
 
     

●お寺まいり その3
     
 
関西弁と標準語

「お寺まいり」を初めて聴いたのは、37年前、セカンドアルバム。このとき、特に印象深かったのは、「早く帰りましょう」の部分の「しょう」です。お二人は関西の豊中市生まれなのに、標準語が歯切れ良く、上品な発音だなあ、と思ったのです。

その少し前の歌詞には、「若い坊(ぼん)さん」と、あります。これは、とても関西人らしいです。このように、関西弁と標準語の混在が、とても魅力的な曲ですね。

サポディラの掲示板メンバーに、豊中市のかたがいて、話し方について伺ったことがあります。すると、豊中市では、標準語と関西弁を両方使っているとのことでした。

生まれつき、標準語と関西弁を使っていたことから、上品でありながら、まろやかな歌詞が作られたんだなあと思いました。
 
     

●海の見える放送局
     
 
チューインガムの「海のみえる放送局」は、ファンの間で、とても人気のある曲です。私はここのところ、毎晩チューインガム1のCDを聴きながら寝ているのですが、「海の見える放送局」のあたりで眠ってしまいます。

それだけ、癒しの効果がある曲なんでしょう。メロディーのアップダウンは激しいのですが、それが高揚感につながって、心地良さを与えてくれます。

りかさんとマミさんの声は、この曲から格段の飛躍を遂げています。

詩は抽象的です。作曲は、りかさんですが、チューインガムの作詞ではないので、うなづけます。
 
     

●トヨナカシティー
     
 
ファンの間で人気の高い曲の一つです。以前、掲示板で、何故この曲が豊中市の市歌にならないか?と話題になったことがあります。

改めて、この曲を聴くと、豊中市の、いろんな地名が盛り込んでありません。名曲ですが、このあたりの事情があったのではないか?と思います。

この曲でイタリアの俳優・ジュリアーノジェンマが出てくるので、リカさんに、どんな男性が好きかと聞いた人がいました。すると、フランスのアラン・ドロン、イギリスのサッカー選手ベッカムということでした。
 
     

●岡田さんの手紙
     
 

「岡田さんの手紙」の歌詞に出てくる、岡田早苗さん御本人とチューインガム東京オフ会で会いました。ファーストアルバムの挿絵を見ると、岡田さんは眼鏡をかけて、ポロポロと大粒の涙を流しています。最初にこの歌を聴いてから28年間、ずっと「可愛そうな少女」というイメージをもっていたので、実際の岡田さんと出会って驚いてしまいました。挿絵とは正反対の女性でした。

岡田さんは、はつらつとして聡明な美人でした。お世辞でも何でもありません。眼鏡もかけていませんでした。笑顔が素敵でした。先生をされているそうで、指導力がある感じでした。岡田さんお1人が女性で、他10人ほどが男性でしたが、懇談会では、彼女が司会者のような感じで、話題をリードしてくれました。

その後、オフ会メンバー全員で、RIKA&Mamiさんに、ゆかりのある喫茶店やレコード会社などを歩いてまわりました。私はときどき、岡田さんと並んで歩き、いろいろと質問をしました。

私「ポプラに名前を刻んだのは、本当ですか?」
岡田さん「実際にではなく、イメージの中で刻んだんですよ。(^○^)」

私「(岡田さんの)目に、と、(なつかしい)校舎、の所の音程の微妙なゆらぎが好きなんですが。」
岡田さん「私も、聴きながら、そう思っていました。(^○^)繊細な感じが良く出ていますよね。」

私「挿絵の岡田さんが持っている手紙に、オカダサナエより、と漢字ではなくカタカナで書いてあるのは、どうしてでしょう?」

岡田さん「あの当時は、名前をカタカナで書くのが流行っていたんですよ。(^○^)」

会話をしながら、子供時代に岡田さんと仲の良かったRIKA&Mamiさんの人柄が、自然と理解できました。三人で楽しく遊んでいた様子が、まぶたに浮かぶようでした。

あれから5年たちました。岡田さんのカキコも、ときどきしか、こなくなりました。
 
     


●エピローグ(管理人(情美滝)より)
     
 
KENさんのブログにエピローグ(終章)はありません。
2015年2月10日の投稿を最後に、ずっと次の投稿を待ち続けています。

最後に、次の詩をKENさんに捧げ、エピローグとさせていただきます。


~ KENさんへ ~

あなたが消えて ブログの文字に漂う想い出は
閃光が瞼に残した残像のように 
儚く頼りなく けれどやさしい

二度と更新されない 投稿日付の寂しさは
誰もが持つ遠い過去の 
止まったままの時間の哀しさのよう

ブログの置かれたほんとうの場所と
目の前のパソコン画面を結ぶのは
インターネットと呼ばれる
複雑に絡んだ電子の糸

ならば、糸の1本くらいは
あなたの世界と繋がっていてもいいはずですね。

私たちのカキコが せめてあなたのもとに届きますよう。。。

心をこめて 思いをこめて
綴る言葉は ありがとう KENさん
 
     


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