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「風と落葉と旅びと」が発売されたのは1972年(昭和47年)6月21日です。私はそのころ、大学に入って2年目の19歳でした。私の住むアパートは、大学のある西千葉駅から東京方向に3つ目位、新検見川(しんけみがわ)駅の近く、花園町にありました。大学の先輩が見つけてくれたアパートです。
このアパートは、私が卒業してから数年して取り壊されました。跡地は、駅と立体交差する道路の真下となりました。
私の部屋は2階で、南向きの日当たりの良い部屋でした。窓からは、すぐそばに新検見川駅のプラットフォームの屋根が、左右に長く見えました。線路を走る電車は、黄色い色をした総武線。ふるさとの飯田駅は、この線路の先にある、と思うだけで、一人暮らしの寂しさを紛らわせることができました。
駅とアパートの間の空き地(100平米くらい)には、花畑と野菜畑があり、四季おりおりの植物が心をなごませてくれました。アパートの階段を降りて出掛けるときは、左手に畑を見て、帰るときは右手に畑を見ました。
あれは6月末の日曜日のことだったと思います。同じアパート1階の管理人さんの所に、アパート代を払いに行こうと思いたちました。アパート代の支払いだけですから、1分もかからずすむと思い、階段に面した部屋の窓は開けたまま、鉄製の外階段を降り始めました。屋根の付いていない、むき出しの階段でした。
階段を2~3段降りた時のことです。私の部屋のつけっぱなしのラジオ(東京FM)から「風と落葉と旅びと」が聞こえてきたのです。その瞬間、体全体が震える程の感動を覚え、あわてふためいて部屋に戻り、曲に耳を傾けました。アパートの壁は薄く、お隣の人の小さな音でも聞こえるので、普段はラジオのボリュームも小さくしているのですが、そのときだけ大きめだったのだと思います。
植物の芽が、突然、地表を突き破って姿を現したような、自然で新鮮な驚きでした。私のためだけに、私の好みに合わせて作ってくれた歌のように思えました。そして長い間、待ちこがれていた曲に、ようやく奇跡的に巡り会うことができた歓喜を感じ、胸が一杯になりました。深い感動で、目には涙がにじんできました。曲が終わってから、ディスクジョッキーの話がありました。チューインガムという子供のグループが作詞作曲し、歌っているとわかり、「これは天才に間違いない」と確信しました。
しかし、情けないことに、すぐレコードを買いに行ったり、ラジオ局へリクエストするという行動には出ませんでした。日々、アルバイトと勉強に追われていましたし、「風と落葉と旅びと」が、それ以来、ラジオから聞こえなくなった、ということもあります。
ところが、私の深層心理には、チューインガムと「風と落葉と旅びと」が、しっかりと根付き、何ヶ月か経ってからLPの購入に至るのです。それは全くの偶然が、成せるわざでした。不思議な因縁です。 |
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